頸椎症(後縦靭帯骨化症)闘病記2

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2002年1月ごろ(発症前症状)

(自覚症状)
犬の散歩中右足を軽く引きずるくせがでる

しゃがんで立ち上がる際すぐにたてない、筋力がよわってケンスイが出来なくなる
朝起床時、ひざがかくかくして1分くらい歩きにくい、首をひねると両腕足に電撃が走るがすぐ収まる


今思うとこの頃から症状が出始めていたと思われるが当時はただの運動不足と軽くみていた。

  
2002年12月

【症状】
駅の階段をおりる時ひざに妙な違和感があり早く足が出ない
ジョギングをすると膝がかくかくして走れない他上記内容


運動不足でスクワットを自宅でやる、駅の階段はその筋肉痛と考えていた

  
2003年1月

(症状)
1月3日右腕付け根に軽い痛み、背中に異様な痛み
その頃から右手薬指に違和感パソコンのキーが打ちにくくなる

1月15日頃、右足が軽い麻痺状態で歩行困難になる、歩行中ふらつくめまいのような感覚
右手薬指から小指中指に軽い痺れ
首を前後に大きくそらすと電気のようなものが両腕と両足に流れる


近くの整形外科でレントゲンをとり診察、首の6・7番目のかすかな変形による指の痺れと
いわれる足の方は原因不明、自分では歩行困難などから脳の病気と思い脳ドック人間ドックに行くが
脳他に問題は無く首に問題があるのではとドックの医師に診断されMIRの予約、
その間整形外科の牽引を行うが足の麻痺は収まらず悪化していく、

知人の紹介で八王子大塚のいとう接骨院に通いリハビリをうける、マッサージによる効果か
多少好転足が前に出るようになる。

この頃は何が何でも自力で直すと毎日リハビリに通う

隔日で水泳も行うが一度クロール後手の麻痺が強くなり泳ぎは控える
2003年2月

(状態)
上記症状かわらず

少し右足の麻痺は好転のような感じだがふとした時に麻痺症状が強くなる

右手の麻痺は一進一退、2月後半何でもなかった左手の人差し指親指に痺れが発生、
直っていると思っていた矢先ショックを受ける、


首のMRIそこで頸椎2・3番後方の変形から脊髄の圧迫を発見6・7辺りにもヘルニアあり、

その写真コピーを購入して私立病院に持ち込み診察、頸椎椎間板ヘルニアと診断症状からしてまだ
手術の段階でない、リハビリも気休め直る見込みは全くなし様子を見るしかないと診察
(正直人事とはいえ薄ら笑いを浮かべながら語った私立病院の医師には失望)、

インターネットからレーザー蒸散方PLDDを見つけ興味を持つ。 
 
接骨院のリハビリは毎日のように続ける。水泳も軽く泳ぎ水中歩行を軽く続ける

2003年3月

レーザー蒸散方の対称内かインターネットから千葉の病院に診察に行く3時間もかかり実に
遠かった、

そこで院長先生から後縦靭帯骨化症と診断自分の場合レーザーではだめで完全に治るとは
いえないがこれより悪くしないよう保存療法の為にも後方からの手術を進められ東京の某大学病院の
紹介状を書いて頂く親切な先生や看護婦さんでしたが、やはり手術となると恐ろしくあれこれ
考えながら帰って来る。

紹介された大学病院の診察日が決まった日、本当に手術以外無いのか、もっといろいろ調べてみようと
インターネットを覗くと、たまたまそこで頸椎ヘルニア闘病記という頸椎症を克服した方の
ホームページを発見、

その中に移っている管理人さんと医師の方の笑顔の写真に興味を持ち、食い入るように読んでいくうち、
笑顔の医師の診察を受けたくなる、

 

はじめ名古屋で手術した内容から遠さに躊躇していたらページの最後のほうでその先生が東京調布市
とい自分の地元で西島脊椎クリニックと言う脊椎関係の専門医院を開業したことを知りその近さに
驚く灯台下暗しとはこの事と実感。

とにかく診察していただこうと予約をいれるが込み合っていて4月4日診察と決定する

その後ネットで西島雄一郎院長を検策結果ヘルニア関係の名医10人に入っていることを知る
(以前は日刊スポーツのページに同じものが掲載されていましたが現在表示できなくなっています)
接骨院・水泳は続けている水泳はこの頃から歩行とストレッチだけにしている。
早く直して泳ぎたい

ps、書店で見つけた自力でヘルニアを治すという本の体操を書店内で実行、
首に激痛が走り一段と麻痺してしまう(わけの分からん本や治療には注意)


  
2003年4月

症状かわらず、首を前後して電気が走る感じが不思議と弱まっている
手の痺れ足の麻痺かわらず。


お酒をやめたのと日々のリハビリのせいか体重が減るうれしい麻痺している分体を軽くすることに
専念症状はかわらず

4月4日待ちに待った西島先生の診察を受けるMRIとレントゲンの診察からやはり
後縦靭帯骨化症(コウジュウジンタイコッカショウ)OPLLと診断される。

レーザーは対象外と言うことで前方より侵入しOPLLを取り除きチタンゲージで固定する
前方固定除圧術
を言う手術を受けることに決定術日5月28日になる。
初めてお会いした西島先生は穏やかな表情で患者を不安がらせることも無く噂どうり名医だなー
と感じる。

先生のお話から原因は3.4番後ろの靭帯の骨化で一つに老化現象によるもの、遺伝の性質もあると
いうことで私の場合足に麻痺症状が出ているため手術の必要があるとの事

6.7番当たりは現状で問題なく将来的にも大丈夫との事
原因部分のOPLLを手術で取り除けば元に戻るとのこと、心配ない若いから直るよと言われ
感激するどこでも保存療法としてと言われていたのに直ると言う言葉に希望がわく
こうなればまな板の鯉この先生にすべてお任せしようと決断しその場で手術の予約を申し込む。

  

ただ正直この時は前方固定術の事をもっと簡単に細い棒みたいなものでOPLLをチョイット
取り除く程度に考えていたが、後でクリニックのHPから手術の内容をじっくり写真でみて
かなりあせるが、西島先生に執刀していただく事を思うと全く不安は無く術日が来るのが
ひたすら待ち遠しかった。

 
平成15年4月(術前)

状; 
右手痺れ突き指症状、ペン握るも30秒程度で硬直言う事が利かなくなる。
右腕付け根に時折痛みひどい時は激痛と共に腕が利かなくなる。

首前傾すると両手両足おしりにかけて痺れる同時に麻痺が強くなる

歩行困難、階段手すりなしで降りられない、温泉の浴槽に入る際も手すりにつかまり
やっと入浴、

時々、胸と背中にジンジン電気が流れる感じ

治療;
八王子市大塚の、いとう接骨院にてほぼ毎日保存療法
スーパーライザーなるレーザー治療を首に7分低周波マッサージ、温熱治療、マッサージ、
首の牽引9kにて10分腰牽引40kにて10分終了後多摩テッククアガーデンにて水泳(水中歩行500m)
温泉欲50分※会社の(有)松田興業で複利厚生ように温泉の会員になってくれているので非常に助かる。。。
ありがたい


診察;
03年西島脊椎クリニックにてレントゲン、MRI撮影後、西島院長の診察を受ける。
病名頸椎3.4番における後縦靭帯骨化症、原因として一つに老化現象人は28才くらいをピークに
老化していきそのせい、東洋人に多い足の麻痺症状もかなりあることから手術しか直す方法はない、
ヘルニアでなくレーザー蒸散法の対象外な為、首の前方より侵入する頸椎前方固定除圧術
(首の前方5cm位切、そこから顕微鏡下で侵入骨と骨の間の椎間板等を削り取り骨化した後縦靭帯を
取り除き除きとった空間にチタンゲージを詰め込みボルトで固定する)を行うそう

西島先生に若いから必ず直ると言われ希望が沸く、その場で5月28日手術と決定、さんざん
あちこちの病院でいろいろ言われへこんでいた所へ西島雄一郎先生という本当に心から信頼して
自分の体を預けられる医師に出会えた事に感謝し不安の気持ちなど一切無くただ希望のみを
持って手術に挑む決心をした。

03年5月(術月)

症状前期と変わらず

5月中ごろ西島クリニックにてCT撮影、麻酔に備えて血液検査
先生による診察後28日手術を受ける決定をする
その後病院内を案内され説明を受ける。

5月27日手術前日;
朝からクアガーデンに行きいつもの保存療法を伊藤先生の下受ける
午後一時頃実家の神前に手をあわせ、2時妻と母と子供たちと病院に行く
入院手続きを済ませると外出の許可がでたため皆で病院前の増田屋で食事、家族と別れ夜、
西島院長に手術の説明を受ける、すぐに良くなるといわれ希望を胸に部屋に戻る
その夜はなかなか寝付かれず朝方まで興奮していたが、看護婦さんに明日麻酔でぐっすり寝るから
眠れなくても平気といわれほっとする。


5月28日手術当日
朝、西島先生より診察その後、麻酔先生より麻酔の説明
朝8時頃妻病院に到着、術着に着替え手術台に乗り麻酔の先生が麻酔をするこれは精神を
安定させるため麻酔の前に点滴から入れるものと説明された注射器を点滴に混ぜられた頃から
何も記憶が無い

術後喉が引っかかるような感じで目が覚める、首には大きな絆創膏、とにかく喉がかわいて
仕方ないが麻酔のせいで飲ませてもらえず、眠りたくても喉が気持ち悪くて眠れない非常につらかった。
横向きに体制を変えて少し楽になり一眠りするが変な体制だったせいか首から出血、看護婦さんと
先生に止血してもらう。
おしっこがしたくなり尿瓶をもらうが出ない、夜自室に帰ろうとするが、足に力が入らず処置室にとどまる、
夜妻と家族帰宅後しばらく処置室にいて自室に戻る、タンがからんで辛いのとつばを飲むと喉が気持ち
悪くそのたび首から出血していたようで夜中12時頃先生が見えて再び首を縫ってもらうおかげで
出血とまり少しつばを飲むのが楽になるが、その夜は喉の気持ち悪さから眠れない。


5月29日術後翌日
睡眠不足と喉がむずがゆくしんどい、朝母がおかゆを持ってきてくれたので食べるが逆流してきて
食べにくい、水も飲むたびに逆流してきて喉につかえてしまう。
首はまさに激痛、創造を絶する痛みだった、とにかくベットに頭をつけていないと仕方ない手の痺れは
強く残っていたが足が多少軽かったのと小便の出が勢いがあったのはうれしかった。
西島先生の朝の問診でもちゃんと取れてるからもっとどんどん良くなると言われうれしかった。
早く昔のように漫画を描きたいそう願いつつその晩は二日間の寝不足のせいかぐっすり眠れた。


5月30日
相変わらずの肩こりと首痛、手の痺れ引かず昨日まで軽かった足がまた少し重くなりショックを
受けるが症状は行ったり来たりを繰り返しだんだん良くなると言われ気持ちを強く持つ、
水を飲むとき一気に飲んで最後に逆流を絶える技を編み出す。

  

5月31日
この頃CT撮影、朝何枚か落書きで漫画を描くがあまり言う事を聞かない強引に何枚か描くがすぐ疲れて
まだ細かい作業は出来ない
階段を降りる際手すりなしで降りれる感激だがしばらく歩くと膝が締め付けられる感じで体が重たい
感じになる、術後体力が衰えたせいといわれる、この日シャワーを浴びる
その夜面会時間が終わった頃点滴をしていると突然父が現れる病気の体を引きずって電車でやって
きたという、父の子供への思いに申し訳なさを感じる、


6月1日
首痛かわらず、朝CTの写真を見せてもらう骨化部分がきれいに取れていてうれしかった、
喉はだいぶ良くなる
気合で駅前のパルコまで画材を買いにいき病室で西島先生の似顔絵と一枚の漫画を描いてみる、
細かい描写はまだまだ出来ないがそれなりに描けてやや満足

  
夜、身重な体で見舞いに来てくれた妻と病気の体で来てくれた父母と外食あまりおいしくないそばを
近くの蕎麦屋で食べる

6月2日
朝、前日描いた似顔と漫画を先生にプレゼントする、喜んでもらえたかどうか、、、、
この絵は現在病院二階に飾っていただいているそうです8・25

首はひたすら痛い、その日、数日後妊娠中の妻が子宮口を結ぶ手術を行うため、二人の子供達を
妹夫婦にあずけて寂しげに現れ二人で近くの知り合いの焼き鳥屋さんへ食事に行く、その店の
焼き鳥のおいしさに妻感激、二人でウーロン茶を飲みながら焼き鳥とてんぷらを食べるが途中首が
辛くなりお土産にしてもらい病院に帰る。

ちなみにその焼き鳥屋さんの名前は病院から50mくらい布田駅に向かった並び旧甲州街道沿い
居酒屋田(でん)本当においしい焼き鳥だったのであえて紹介しました


その夜病室で先生に抜糸していただきそこで妻の手術の準備のため翌日退院の許可を先生からいただく、
妻子供のいない寂しい自宅に帰っていく

その後点滴をして眠りに付く


6月3日退院日
家のベットで寝たかったのでうれしかった、相変わらず手はしびれ足は締め付けられる感じ、
首痛はかわらず、実家に戻り神前に感謝し、今度は妻の入院のため私立病院に行く病院の妻の
ベットの横で座っているとき正直気を失うくらい首が痛かった。

少しでも良くなればと接骨院と多摩テックに行くがマッサージはまだ早かった気がする、直後は
楽になったがすぐに首痛が始まる、、、
ただ以前マッサージのさいに背中を触られているとき両足が硬直してしまったがその硬直がほとんど
収まっていた
のには嬉しかった。


6月4日
首は痛く薬を塗り続ける歩くときに膝が締め付けられる感じと体が重い感じで力が入りにくい感じ、
手は痺れきつい時々良くなっていないのではと不安がよぎるが先生を信じることにする。
手術のビデオもらってきたが怖くてまだ見れない。


朝から多摩テックに行き妻の病院へ行く妻の手術無事終了しほっとする、我が子のため痛みに耐えて
くれた妻に感謝と愛情を感じる。ほっとして夜家に帰り泥のように眠りに付く

6月25日一ヶ月検診


術後一ヶ月検診を受けに行く、先生の手術が長引いたせいで診察が遅れる
症状は相変わらず手の痺れ強く歩くとき膝も締め付けられる感じですぐに疲れてしまう。
6時30分頃診察を受けるCTはとらずレントゲンのみ撮影、
チタンゲージもちゃんと固定されていて問題はなし、やはり足まで狭窄の影響が出ていたので
少し時間がかかるだろうと言われる。
診察を終え帰る際天候が曇りから晴れになったとき脚の動きが少し軽くなった気がした。
首の痛みは時折出る程度であまりなくなった。


まだまだ長い道のり気持ちを強くもってがんばらねばと実感


  
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