ユウは元気です(^-^)

パパの日記A

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20041213

11日、妻と教会の東京出張所へ運ばせていただきました。お伺いのお願いをして、別室で待っている間、いろいろな理話をして下さっていた、女性の先生のお話に心から感じ入る事がありました。私のぽっかり開いた空白も、神様は埋めてくださるから、心配いらないと、やさしくおっしゃっていただきました…。他の悩みをもってお伺いにいらしている方の、いろいろなお話を伺ったり、待っている間、沢山の勉強をさせていただき、大変ありがたい時間でした。

 午後になってお伺いをして下さる担当のO先生が食事を終えられ、さっそくお伺いをしていただきました。

はじめに私、妻、ユウの名前をお見せしたところ、どんな風につけても、子供は必ず、その因縁にあった名前を備わってしまうと教わり、半分は親の因縁を引き受けている事を教えられました。とにかくことが大きいため、どういうお言葉をいただけるか解かりませんが、お子さんの病気の根源をお伺いしてみましょうと、優しく神前の前に正座して、神様にお伺いを立てて下さいました。先生の強い祈りの声に、私は本当に心のそこからありがたさを感じ、涙がとめどなくでてしまいました。

はじめ、神様から、心の持ちようなどお教えをいただきました。すべて通らねばならぬ道、暖かくおさとしいただき、その後、ユウの病の根源、私と妻の前世因縁をお見せいただきました。

前世、私と妻は共に夫婦で沢山の人をつかっていましたが、心冷血で我が子のみ溺愛、他の子は虫けらのように扱っていたそうです。疫病がはやり、たくさんの子供達が命を落としていく中、病気をして働けなくなり、私ども夫婦に助けを求めても、心無く突き放し、それどころか虫けらのように扱い、おまけに助けを求めてこられる方を追い払う為に人までやとって追いかえし、結果その方たちの子供達は、なすすべもなく命を落としていかれ

たそうです。

こうして自分も子供の命の危険に直面して、初めてその方たちの気持ちがわかり、心から反省し妻と共に真剣にお詫びしました。その後先生から7日ずつ三ヶ月間しっかりお詫びするよう御教えいただき、やることは、すべてやって、後は神様にすべてお任せしなさい。そうお教えいただきました。

本当に妻ともどもありがたく、O先生、そして控え室の女性の先生にも感謝して主張所を後にしました。思い返すと前世のみならず、今世も心汚して、冷血に生きている所があり、反省する事ばかり。前世因縁を深くお詫びして、今世は決して心汚さず、生きていこうと妻と深く反省しながら帰ってきました。

 神様にお任せする、そういっても人間なかなか心弱く、目に見えぬものゆえ不安の虫が走りますが、こんな時こそお任せする、本当に心のそこからお任せする事こそ大切かなと深く感じています。

最後に先生が明るく優しい笑顔で、「2月節分をさかいに、なにか道が見えてくるんじゃないかな?」と、おっしゃっていただき、そのやさしい笑顔とお言葉に、妻と共に心が救われる思いを感じました。本当にありがたい思いでいっぱいでした。

今はどんな事でも、一つ一つやるべきことはすべてやり、頑張って行きたいと思います。 

 20041222

数日前よりユウの髪の毛が抜け始めました、しばらくはゆっくりだったのですが、昨日会った時は、かなり進んでいて、その姿を今、頭に浮かべるたび涙が出そうになってしまいます。

おとといはユウが「おじいちゃんは天国にいったの?かわいそうだね、」と繰り返し、「ユウは天国に行きたくない、寂しいから」そんなことをつぶやいていました。4歳の小さな身で自分なりに異変に気がついているのか、かなり不安があるようです。「ユウちゃんが天国に行くわけないでしょ、」となんども話しかけながら、自分にも一生懸命そう言い聞かせていましたが、帰りの車の中で涙が止まらなくなってしまいました。

 家族で取った血液検査の結果もまだ全てそろってないということで、待ち状態、せめて良い結果が出て欲しいです。妻も今週の日曜1日ユウと離れていた時、いろいろ考えて不安になってしまったらしく、病院にもどった時、涙顔をしていました、自分もユウにあわない日は不安になってしまいます。昨日も、泣かずに髄空注射を頑張っているユウ、髪の毛が抜けてもじっと我慢しているユウ、今、愛おしくて、愛おしくて、たまりません。

神様、どうかユウをお救いください。私たち家族からユウを奪わないで下さい、潤いの心いたわりの心、すべて守り続けます。ユウが立派な用木となるため、夫婦で共によい目標になれるよう頑張りますから、どうか、どうか私どもの罪をお許し下さい。そして元気なユウにもどれますよう、御守護ください…。

今はただ、祈る事しかできません、これからもっともっと沢山の過酷な試練を、受けなければならない娘を見ていると、本当に辛くて、たまりません。神様どうか私どもの罪をお許し下さい、ユウに明るい未来を与えてあげてください。

 明日は1223日教会の大祭が那須であります、しっかり那須の教会にて、私たちの罪をわびて、ユウと家族みんなの健康を強く祈って来たいと思っています。

O先生がおっしゃってくださった、節分を節目に何か見えてくるのでは、あのときの先生の明るい笑顔のみが、今の私たちにとって心の支えになっています。後は親神様にお任せして、心からお任せしきる心、その心を胸にじっくり頑張って行きたいと思います。

「心から神様を信じます。どうか、ユウにとってよき道へお導き下さい…。」

 20041228

昨日大学病院の先生から、先日の血液検査の結果をうかがってきました。まず、ユウのフィラデルフィア染色体陽性(ph1陽性)は、正式な検査結果からも間違いなく、やはり骨髄移植(造血間移植)が最優先治療ということでした。

そのドナー候補として、まず兄弟の分を見せていただいたが、全く駄目、がっかりしていると、親の私たちのデータを見せてくださいました。結果、妻のデータは一致が少ないのですが、私のデータが大まかには6個中5個が一致、しかし詳しいデータでは一致する中に一つ不一致が半分入り込んでいるそうでした。移植可能ではあるけれども、細かく言えば二座不一致、大まかには一座不一致だそうでした。実に微妙な所で先生も沢山のほかの医師にも相談してみるという事になりましたが、とりあえずは血縁関係からドナー対象者がいたことに、救われた思いがありました。

これからバンクに申請して結果をまったり検査で先延ばしになったり、ドナーの方を傷つけてしまうことを考えると申し訳なく、出来たら自分の骨髄で移植を希望したい旨報告しました。なんとなく、自分の骨髄ならユウを救えそうな気がしています、うぬぼれでなく思いが伝わってくれればと、今はそう願うばかりです。

 とりあえず今後の治療予定として、もうじき治療のワンクールが終了しますので、その後次のクールが終わってから、別の移植経験豊富な病院へ転院、そこで3クール目終了後に次のクールで移植、という日程になりそうです…。今から自分としても心の準備として血液をさらさらにして、ユウの病気を退治できるような健康食品を食べまくっておこうと考えました。二ヶ月程度ですが、今からはじめれば少しは役に立てるでしょう…。先生の説明を受けて妻も多少、明るい光がみえたのか、少し明るい顔になっていました。その顔を察したのか、私が病室に帰ったときのユウの表情も実に明るく、本当に真っ暗な暗雲立ち込める中で、かすかな光が差し込んだ気がしました。

 ユウに何度も、パパがユウチャンの悪い病気をやっつけて治してあげるから、心配いらないよと話すと、ユウも静かに安心した様子でうなずいて笑っていました。ユウを救う為のパワーと念をこめた自分の骨髄に沢山のユウを心配してくださっている方の思いや、神様のすごい力までこめて送り込めば、きっといい方向に行くんじゃないか、今はそう信じるばかりです。明けない夜はなし…、いつかかならず明るい朝がやってくる、強く信じて頑張っていこうと思いました。

 2005年1月7

昨年28日今年の仕事も終わり、その翌日この次期にしては珍しい雪が降りました。いったん下の子供達の荷物を実家から自宅に運び、雪のなか妻と付き添いの交代をしました。それから明けた5日まで、妻に代わって私が、ユウと共に過ごしました…。ずっと一緒にいるとユウの髪の毛も見慣れてしまうのか気にならなくなっています。ユウもまた生えてくるからと、別に気にもかける様子もなく過ごしています。時々先生や看護婦さんが来ると、機嫌が悪くなり私に当り散らしたりしていましたが、長い病院生活と注射や薬などのストレスで仕方ないようです。

私は折り紙の箱をおぼえて、ひたすら箱を何個も作っていましたが、そのうち私が書いた漫画に色を付けるのが、楽しいのかユウはそれに夢中になっていました。

 元旦実家のしきたりで法事があるので、妻と交代して午前中実家に帰りましたが、少し風邪をひいている妻が側にいたのでは、ユウにうつしてしまう可能性が高いため、あわててまた交代とせわしない正月でした。思い返すと昨年の正月も今は亡き父の病院に皆で押しかけたりして、2年連続元旦から病院です。

その夜、ユウは色塗りに夢中になって、その疲れのせいか、妻の風邪がうつったせいか、解かりませんが、38度以上の熱をだしてしまい、何度も夢をみてはしくしく泣いていました。夢の内容を静かに聞くと、ユウは一人ぼっちで暗く寂しい所にいて、悲しくて泣いていたようです。私はそれを聞いてたまらない気持ちになってしまい、ユウをだきしめながら、そんな所にユウちゃんは行かないからね、パパが側にいるでしょ、と何度も言い聞かせました…。

なかなか落ち着かないのか、眠りについても、私が離れるとすぐに目をさましてしまい、何度も何度も泣きじゃくっていました…、やっと眠りについても、しばらくすると、また同じ夢をみてしまうようで、本当に悲しそうにしくしく泣いていました。私のベッドをユウのベッドの横に付けて、手をつないであげたら少し安心して眠りにつきましたが、また朝方も同じ夢の繰り返しで泣いてしまい。私もたまらない気持ちになって、ユウを抱きしめて涙してしまいました。

何でこんな初夢を、そう思うと少し自分自身も妻も油断していたのに気がつき、しっかり心正してユウを守らなければと、心から反省しました。

ごめんね、ユウちゃん、パパとママは側にちゃんといるからね、何度も何度もユウに、語りかけ神様にユウのことを守ってくださいと、祈り続けました。

看護婦さんも夜、熱を測りにきてくださっていたようで、朝方の熱の上がり具合から採血と点滴を付ける事になってしまい、処置室でユウ号泣、その後抗生剤を点滴から入れてもらったせいか、熱も少し下がって少し落ち着いたようでした…。これから先、ユウは大変な治療を受けるのに、父としてかなり油断していたような気がしました。今年新年からはじめている二回目の因縁への懺悔も、その日深くさせて頂きました。

私が付き添いをしていたときの入院中の日課は、夜、ユウが寝る前のおしっこをした後、パパの抱っこをしばらくして、その後、ベッドに入ったユウを静かに神様のお力をお借りして、お授け(お祈り)させていただき、1日の感謝を神様と先祖様にして眠ることでした…。今朝、神前で因縁への懺悔の7日目を終えたあと、なんだかまたしても、油断していた自分に気がつきました。少しでも時間があれば、ユウの元に行き祈ってあげたり、さすったりしてあげなければいけないのに、会社でごそごそとネットの整理なんかしたりして、深く反省しました。

今日、午後から久しぶりにユウが、仮退院します、ユウにとって久々の外です、とりあえずは一ヶ月、最初の治療を無事終えられた事に深く感謝したいと思います。まだまだ長い道のりですが、心しっかり、油断する事無く頑張っていかねば…深く反省です。

 2005119

先週7日から12日まで、ユウが仮退院で自宅に帰って来ました。はじめ実家に立ち寄り、兄弟達と久しぶりの再会でしたが、三歳の弟がユウの髪の毛の抜けた頭を見て、お姉ちゃん帽子かぶっていな、と、心配して話していたのには、皆で驚かされました。

数日間ですが、家族が一つ屋根の下で過ごす事が出来、心から感謝させていただきました。

ユウの外泊の間、母、姉と話し合い、他の子供達を兄夫婦に預かってもらい、自分も移植に向け身体を休ませ体調を整える準備に入るよう決定しまいた…。息子は私が連れて、病院と保育園を往復しながら連れ歩こうと、思ったのですが、いろいろ話し合った結果、弟コウは次男兄の家でしばらく見ていただいて、末娘は長男兄の家で見ていただくことになりました。可愛い子には旅をさせろ、子供達は寂しい思いをしますが、しばらく兄達に可愛がっていただくことで、親以外での広い愛を知る事ができると思い、心を鬼にして決断しました。

 仮退院が終わり病院に帰る日、さすがに辛く泣いていたユウと、兄の下に行くのに、親と離れる悲しさをこらえる息子を見ていて悲しく妻と切なく感じましたが、しばらくの辛抱、やがて元気になったユウも一緒に家族が一つになれる日が来る事を、心から信じてがんばって行きたいと思います

 2005年1月20

仮退院後、病院に戻ったユウは、胸にカテーテルを入れる手術をその翌日受けました。今後はカテーテルを通して薬を注入するらしく、腕の点滴から開放されるようになりました。全身麻酔による手術で術後目が覚めてから、ぐずっていましたが、何とか無事手術は成功して現在カテーテルから薬を投与されています。その後16日に次の治療クールの前に一泊だけ外泊をいただき、また家族が共に一夜を過ごす事が出来ました。

 仮退院直後、私の血液検査もありましたが、無事移植ドナーとして問題がないという報告をいただきほっとしました…。その日、日頃私がお世話になっているAさんから、念のこもったお守りを送っていただき感謝でいっぱいでした…。早速ユウの病院にもって行き、ベッドにぶら下げさせていただきました。本当に、たくさんの皆さんに、心配していただき幸せに感じています。みなさんの暖かい心に支えられ、必ずユウは治る、そう信じています。

いろいろな闘いを乗り越えて、我が子たちが、みんな成長していくのを最近感じています。ユウも薬や注射にも強くなり、さらに自分から治るんだという意識が働いて、作った枇杷茶もしっかり飲み、いらいら怒る事もありますが、すごく素直に、言うことを聞くようになりました。昨日も耳元で静かに、「ユウチャンのことをパパもママも沢山の人たちが、守ってくれているから、心配ないからね、神様もユウチャンを守ってくれているからね、頑張るんだよ、ユウチャンが優しいから沢山の人が守ってくれているんだから、これからも、もっともっと優しい子になりなさい」そうささやいたら、静かに、うんとうなずいていました。すごく素直でとてもよい子です…。素直で優しく、自分から何とかして直そうという、強い心を4歳ながらけなげに持って頑張っているユウ、そのけなげな心を思うと、何としても直してあげたい、そう我が子ながら感じました。頑張れユウちゃん、神様が守ってくださっているからね、頑張れ頑張れ^^

 1月22

昨日東大病院の先生にお会いして、いろいろなお話を伺いましたが、その前日20日、また愕然とするお話を杏林の先生から聞かされました。はじめは移植に関する合併症や諸々の説明で以前にも、伺っていたことでしたが、再度翌日の東大での説明に備えてお話していただきました。

愕然としたのはもう一点、私の血液検査の結果、B型肝炎陽性の抗体が検出されたとのことでした、まさに寝耳に水、再度正式に検査するとのことになりましたが、もうすでに肝炎ウィルスがなくなっていれば良いのですが、隠れもっていたりしていたら、移植は出来ないということでした…。杏林での検査結果は問題なしということで、別の検査施設で結果がでたそうです。自分の骨髄でと心に決めていた矢先、その夜はショックで眠れませんでした。昨日東大病院から戻った際に杏林で血液採取していただきましたが、検査結果は来週とのこと、杏林の先生のお話では抗体が見つかったということで、過去になんらかの形で感染したようだが、ウィルスが身体に残ってなければ大丈夫なんですが、なかにウィルスを隠し持っている場合があるらしい…、東大の先生にもデータは送っていただいており、先生のお話では抗体反応が陰性で潜伏しているかもしれないし、そうでないかもしれない、現在グレーゾーンの場合、非常に難しいらしい。

あれこれ原因を考えても、最近血液でもなんでも感染する可能性はなく、自分的には過去に感染していたのに気がつかず、そのまま持っているような気がしています、昨日検査をしましたがそうでないことを祈るのみです。

 その夜はなかなか寝付けず、途中夜中に目が覚めてから眠れなくなってしまい、完全に張り詰めていたものが抜けてしまった感じでした…。力も気力もなくなり、もう全てから逃げ出したくなるような心境、でもそんなことをしたらユウは、そう考えると落ち込んでいる暇は全くない。次の手を打たなければ、次、次と最善の手段を打つのだ!と自分に言い聞かせて眠りました。

 翌日121

朝から母と杏林に向かい、母にユウを見ていただき、妻と共に東大病院に向かいました。少し触れましたが、東大病院で担当して下さるK先生と初めて対面、自分としては先生にすがるしかなく、そこで真剣に沢山のお話を伺いました…。先生は、さばさばしていてすごく逞しい女性という印象の方でした。説明もわかりやすく経験豊富で切れ味の鋭い方のように感じました…。この方にユウの命をお預けするのか、と思うと、本当に頼りになる雰囲気の先生で少し安心しました。

はじめ自分がドナーとして使えないことの落ち込み、バンクでは時間がかかってしまうことなどから、落ち込みがかなりありましたが。先生からいろいろな資料を見せていただいたり、今後のスケジュールなどを伺ったりしているうちに、何だか少し明るい気持ちになれた気がしました。今までの統計ではph1陽性反応の白血病では身内による移植成績よりもドナーさんからの移植のほうが成績が良いという事、自分のB型肝炎の結果からリスクを背負って移植したとしてもHLA2座不一致でしかもA座の違いは、先生の経験からGVHDもでやすいとのことなど、先生のお話から考えても、父の私で移植するのも難しいらしい。

自分の結果もでていない事から、まだ正式な判断は出来ないが、たまたまユウと同じタイプの方は検索で82名そのうち遺伝子レベルで一致される方は、どれだけいるかわかりませんが、比較的多いタイプということで、バンクの方も対象に探したほうが良いと話してくださり、早速バンクに登録させていただきました。

先生のお話でバンクの良い点、悪い点などうかがい考えさせられてしまいましたが、とにかく状況にあわせたその時点で、ユウちゃんにとって最良の治療を考えましょうという事でお話していただきました。自分の骨髄が使えてくれれば、いざという時自分でという、一つの安心感があるのですが、結果が良い方にでてくれることを今はひたすら祈るのみです。自分自身いろいろ懺悔して結果を静かにまって、その後は神様にお任せするしかないなー、と心から感じました。

 昨日の夜、妻とメールで、自分の骨髄を使うことにばかり固執して、頭でっかちになってしまい、何事にも素直に受け入れなければいけないというのに、またまた素直でない馬鹿な頭でっかちになってしまっていたようです…。全ての流れを心から受け入れること、神様を信頼して、心から信じきって、流れに、任せること、やわらかく考えると、私よりもユウを救う為にもっとも最高の方を神様が探してくださっている、そう信じようと、考えるようになりました。全く手前勝手な考えですが、とにかく素直にこれからの流れに静かに従い、神様を心から信頼することで素直に流れにそって、したがって生きよう。そう思うとなぜか、不思議な静けさの中に自分がいるような感じがしました。

今も打ち込みをしながら、ふと考えているのですが、常に反発心ばかりで流れに逆らい、逆風にぶつかったときも高慢と傲慢さをむき出しにして、自分の力でなんでもねじ伏せてやると言うような考え、素直でなく人の話を聞く耳もたぬ、強情さ、夫婦で似たもの同士でした。

ユウが仮退院したとき、神様から、自分も妻も3年間頭を下げ続けて生きるように、どんなに腹がたっても、打たれても踏み潰されて泥の中に顔をうずめられても、立ち向かう事無く素直に、受入よ、たとえ相手が魑魅魍魎であっても神の言葉、前世因縁と受入れ、はむかわず素直にありがとうございますと受け入れること…。きびしいお言葉でしたが強く命じられていました。できる、できないではなくやらなければいけない。ユウの命を救うため、そう強く話され約束しました。

妻と共に生まれる前、神様と約束したことで、我ら夫婦は世の中の為、人のために生きる、そう約束して生まれたそうです。自分でも入り込み社でありながら、若き日にひどい事をしたり、現在も人に対して冷たくきびしく、調子にのっていたこと、それらを深く振り返って反省してみると、かすかにですが自分達が歩むべき道が見えた気がいたしました…。自分のために生きるのでなく、人のために生きる、妻と共に頑張っていこうと思いました。きびしいおさとしでしたが、頑張りたいと思います。

 素直に、優しく、自分の為でなく人のため、感謝の心ですごす。これから先、ユウのこと、その他のこと何があっても、素直に受け入れ、静かに生きていこう。共に本当にいい夫婦になれるようがんばっていきます。本当の意味で生まれ変わる時だと考えています。

200525

節分を終えまた新たな年が始まった気がします。一説では一年のはじまりは節分からという事を聞いた事がありますが、今年は本当に大きな試練の年になるんだなーと、今から恐ろしい気がしてなりません。出来る事なら、骨髄移植なしで治療を続けていただきたいというのが、親としての正直な意見です…。

しばらくこの日記も書き込みをしていませんでしたが、最近の経過としてはユウの筋肉への抗がん剤注入のさいのアレルギー検査結果、何か反応が出てしまったらしく、見送られる事になってしまいました。次のクールでもやっておきたい治療らいいのですが、次回どうなるか気になる所です。

以前、妻の妹夫妻から、ちらっと聞いた事でヤマブシダケというきのこが、すごく良いという話からネットで検索、なかなか良い成分のようで早速お茶と乾燥したヤマブシダケを煎じてその煮汁を、ユウに飲ませています。これは病気に良いというと、本当に素直に飲んでくれるので、少し安心です。最近なぜかユウの中でメカブとシラスが大ブームのようで、12パックおいしそうに毎日食べています。不思議と身体に良い物を自然に選んでいるユウの行動なので、これって何かあるのかな?なんて調べた所、メカブにはがん細胞を自殺に追い込む作用があるらしいと知りびっくり、妻にもそのことを教えて、毎日どんどん食べさせています。

ユウは大丈夫、神様とたくさんの方の願いが通じて、必ず助かる、元気に戻る。そう信じていても、どうしても人間とは弱いもので、妻と共に不安に刈られてしまう事が多々あります。仕方ないかもしれませんが、心強く神様の御守護を信じて頑張らねばいけません…。心よごさず、潤いの心で生きると誓っても、弱いもの特に私と妻のように剛が強く頑固ものには、とても難しいことです。

昨日も会社でチョッとしたことで腹をたてて、短気な行動をとってしまいました。まだまだ甘いです…怒るような内容ではないのに、ついついかっとなってしまう。何という弱さでしょうか。妻も昨夜、小さなことで腹立たしくなってしまいました、その後二人で深く反省したのですが、心穏やかに、日々潤いの心を保って生きると言うことを、常に心がけ頑張らねば…こうして日記に書きながらも、反省しているところです。

 杏林の部屋の関係で、現在無菌室にユウは入っているのですが、部屋も広くユウは大はしゃぎしています。私と妻もこれはいい勉強になると思っています。昨夜、先生から、私の検査結果についてうかがいましたが、血液中に肝炎ウィルスは検出されてはいないのですが、抗体反応がみつかり、よくはわからないのですが、もう一つの抗体が見つからないため、ドナーとしては難しいという事でした。本当にわからないという事で、ただ、まだ候補としては生きていますので、しっかり身体をつくっておくつもりではいます…。妻も出来たら、私の骨髄でと思っているのですが、あとは東大の先生の判断にお任せして素直に流れを受け止めて行きたいと考えています。バンクの方でしたら、わたしよりも健康で澄み切った血液を造っていただける方と信じて、全て流れのままに受け入れて行かなければ…

あとは、静かに神様にお任せする、良い流れを導いてくださることを信じて、静かに頑張りたいと思います。ユウは昨日も元気です、ありがたいことです^^

 2005214

今朝、ユウの仮退院が終わり病院に送ってきました。先週月曜日に数値がよかったのと、治療のワンクールがいったん終了したので急遽仮退院が決まり、久しぶりに家族5人で一週間一つ屋根の下、過ごす事ができました。ユウも本当に大喜び、さすがに昨夜また病院に戻るのが悲しかったのか、夜中にしくしく泣いていましたが、今回は熱を出す事もなく無事元気に過ごしました。少しの時間ですが公園に行けたので、ユウも少し満足しているようです。

仮退院中の210日、妻と二人教会の東京出張所へおうかがいに行きました。そこで以前からお世話になっているO先生に、私と妻でその後のユウの経過や、今後の方針、病院について、それから私のB型肝炎の抗体がみつかった事などについて、お話してきました。移植に関して私の骨髄が駄目かも知れないというお話を聞いていただいたところ、先生はさっそく、私の右手をだしてみて、とやさしくおっしゃって下さり、しばらく私の右手首の脈の部分に手を当てて何かを感じ取られていた様子でしたが、その後笑顔で、「大丈夫だよ、お父さんの骨髄でも平気だから、」とおっしゃってくださいました…。妻と二人不思議はありましたが、先生が大丈夫とおっしゃると、絶対大丈夫、そう心から感じられ勇気づけられる思いと感謝でいっぱいでした。

しばらく、お話しを伺った後、先生の代をお借りして、神様のお言葉をいただきました。神様は、私たち夫婦の思いを受け取ってくださっていること、そうお伝えくださいました。親として子供の難儀を辛い気持ちはよくわかる、神さまも私たちの親として、子の私たちが悲しむ姿を見るのは、辛く悲しいものであるとおっしゃって頂き、以前先生の代をお借りして出させていただいた前世因縁の方々についても、祈りが通じ神様のもとへ引き上げさせていただいたそうです…。無我夢中で懺悔はさせていただいたものの、心行き届いたか不安でしたが、そのことを伺い、妻と共に少し安心しました。それから、ユウのことは、すべて道は付けてあるので安心して通るよう、本当に暖かいお言葉を頂きました。

お話の途中に、今月の終わりに私たちに、伝えることがあると、神様がおっしゃっていたのですが、その言葉の意味が先生にも、まだわからなかった様子で、どのようなお言葉か、また改めて先生からご連絡いただけるそうです。最後に先生から心配はいらないから神様に全てお任せしてとおりなさいと諭して頂きました。ただ、夫婦でいがみ合ったりする事は絶対いけない、夫婦の間に隙間が開くと、そこからまた因縁が入りこんでしまう。私たちにはまだまだたくさんの因縁があるので、夫婦仲良く力をあわせて決して隙間を作らず二人力を合わせて生きていくよう、おさとし下さいました。本当にありがたいお言葉でした。

 ところが、その帰り道と、翌日、些細な事で夫婦いがみ合いそうになってしまい、今深く反省しています。ユウの仮退院中も、私の心に夫婦の間に隙間が芽生えるような、そんな心が何度も覗いてしまい、本当に弱い自分に反省です。己をせめて人を責めるな、徳川家康の言葉を今じっくりかみ締めて頑張りたいと思います。

 ユウの治療が今日からまたスタートしましたが、どこまでも潤いといたわりの心忘れる事なく頑張って励んでいかねば、腹が立った時も潤いといたわり、泥に顔をつけられても動じない強さ自らが模範を示す事で、妻にもその思い伝えて行きたいと思います。辛抱我慢、いつでも心みださず、心穏やかに潤いといたわり、そして暖かい優しさの心で、誰とでも接していれば、かならずどんな凍りも解けてくれる。今は静かに自らの心を磨いて行きたいと思います…。何時の日か、あの時は大変だったけど、大切な大きな経験だったと笑って過ごせる日が必ず来ると、神様のお言葉を、心から信じ、それを支えに妻と共に頑張って行きたいと思います。最後にユウちゃんは今日も元気です

 2005年3月1日

年が明けて、早くも三月に入りました。先週、先々週とユウは外泊をいただく事ができ家族でひさびさに一緒に過ごすことが出来ました。ユウもやはり家にいるのはうれしいようで、弟、妹と三人で大騒ぎして遊びまわっていました。早く家族が皆、健康に一緒に過ごせる日が来る事を神様に祈るばかりです。

今週の終わりに長男が兄の家に行きたくないと、泣いてだだをこねたらしく、妻も心を悩ませていました。義姉家族がユウのために千羽鶴を折ってくれて妻、ユウ共に感激していました。昨日、ユウは外泊から病院に帰っていきましたが、今日の髄注は泣かずにがんばったと今妻から報告が入りました。先週の外泊から病院にもどったユウの様子は一段と大人になっていくようで、今まで一人で部屋を出たり決してしなかった子なのに、自分からボランティアの先生のもとへ遊びにいったり、他の部屋の子の所やお母さんのところに、買ってあげたサンダルを自慢げに見せにいったり、とにかく元気に飛び回っています…。

もともと、健康で逞しい体力を持った子ですから、これから先の試練にも絶対にこの子なら乗り切れる、今はひたすらそう信じて、時が来るのを待つのみです。

 昨夜また些細なことで妻と喧嘩になってしまいましたが、私も反省する事が多いようで、教会の先生から夫婦で隙間作らぬよう、注意されていたのに反省です。マンションに帰宅後、バンクから請求書が届き、ドナーの方が検査して下さった様子で喧嘩などしている場合じゃない、こうして見ず知らずの方がユウのために身体に針を刺され痛い思いまでなされて協力して下さっているのに、ほんとに心から申し訳ない思いを感じました。深く反省です。杏林の先生の予想では5月移植予定らしいのですが、全てお任せして心静かに待ちたいと思います。ユウは必ず乗り越えてくれる、たくさんの方の祈りが天に通じて、神様が必ず救ってくださる。心から信じて頑張りたいと思います。

 2005年3月24日

22日、東大病院の先生と今後の転院についてと、バンクドナーの方の経過報告などを,教えていただきました。以前先生あてに、自分の骨髄をいつでも使ってくださいという旨のメールを差し上げたのですが先生の判断としては、今までの経過から血清学的に自分のA座不一致というのは、移植の合併症が重度になる事が多いようで、ユウの場合ドナー候補の方がたくさんいるということで、バンク中心にという事でお返事が届きました。その際、血清学的に6座一致されている方がいて、DNAタイピングでは2座不一致という方が、すでに見つかっているそうでした。22日のお話ではさらに近い方で、DNAレベルでDR座のみ一座不一致という方がお二人も現れているということで、その場で見つかった方のお一人を、第一候補に、もうお一人を第二候補にということで、先生にお任せしてきました。…ユウの入院も4月4日にきまり、移植の予定は5月終わりから6月はじめという事で考えているそうです。

いよいよ、動き出した…、という感じでしょうか、娘にとっては本当につらい治療で出来ることなら、さけられないかと思い、先生にもしもph1の陽性反応が消えていたら、移植中止なんてことはあるのでしょうか?とたずねた所、それはまずありませんという答えでした。これで移植中止というかすかな期待はなくなりましたが、こうなれば、全てお任せして通らせてもらおうと妻とともに覚悟をきめました。ユウなら、乗り越えられる、神様が必ず守ってくださる、今は強くそう信じることで、この娘の試練を家族力をあわせて頑張っていこうと決意しています。

さかのぼって16日教会の先生にお伺いをうけるため、妻とともに東京出張所へ運ばせて頂きました。正直、この日は、改めて神様の偉大さを、妻とともに知らされました。それと同時にユウは絶対に大丈夫、そう心のそこから思えるようになりました。先生からは何点か重要な神様からのお知らせを伺いましたが、絶対に分らないような、プライベートな秘密を指摘され、正直、本当に夫婦で驚いています。

お言葉のなかで、娘ユウのことはすでに神様が道は付けてあるから、心配しないで、お任せしなさい。娘さんは大丈夫だからと、その日も、先生におっしゃっていただきました…。神様のお言葉にくわえて、先生の暖かい笑顔で大丈夫といわれる事で、妻とともにどれほど心強く、ユウの移植を迎える事かできるか、本当にありがたいことと感謝でいっぱいでした。

自分、妻ともにそれぞれ7日間懺悔させていただくことがあり、22日でその7日間が終わりましたが、何か大きく心の成長をさせていただけたようです。また、16日、先生から神様のお言葉をしっかりといただけた直後に、東大の先生から連絡があるというのも、なんだかすごい力によってユウと私達家族がしっかり守られている、そう感じ本当にありがたく感謝でいっぱいです。夫婦で力をあわせて、頭低く通らせていただこう、しみじみ思いました。

 座って半畳、寝て一畳、天下とっても2合半、以前出張所の先生が教話でおっしゃっていた言葉ですが本当にその通りだなー、と思って昔の自分の考えが恥ずかしい限りです。食べていければよい、その中で自分に与えられた仕事をしっかりやっていこう、今はそう考え、何が自分の仕事であるか、最初の仕事がかすかに見えてきた気がしています…。

それからユウは今、外泊を頂いて家の中でしっかり飛び回っています、元気です^^

 200541

昨日31日ユウが東大へ移動するため、今までお世話になった杏林大学病院を退院しました。仕事の都合でお迎えが7時近くとおそくなってしまったのですが、エレベータを降りてびっくり、なにやら沢山の人だかり、その中に感激で泣き顔の妻と看護士さんに抱かれてポーズをとって記念撮影しているユウの姿がありました。

沢山の先生方、それに看護士さんたちに囲まれて、皆さんから激励されてユウは退院になりました。先生と看護士さん、それに一緒に入院していたお子さんのお母さん方から、あたたかい心のこもった寄せ書きをいただき、妻も感激しまくっていたようです…。その姿にもらい泣きなさっている、杏林の先生を見て、私もうるうるしてしまいました…。本当に皆さん暖かい方ばかりで、感謝の心で一杯になりました。

この場をおかりして、本当にお世話になった杏林大学病院の先生方にお礼をさせていただきたいと思います。

主治医を勤めてくださった、N先生、時々ぐずったり、ふてくされたり困らせることばかりの娘でしたが、根気よく一生懸命なだめたり、褒めたりして治療をしてくださいまして本当にありがとうございました。

ユウが大好きだったY先生、私達夫婦への辛い知らせやうれしい知らせなど、本当に言いにくい事など沢山あったと思います。私も素人ながら反発したりしてしまい申し訳ありませんでした。先生のご心労を思うと、いつも妻と共に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にいろいろ、ありがとうございました。

私はあまりお会いすることが出来なかったのですが、I先生にはユウのことで東大とのコンタクトや、いろいろお手数をお掛けしてしまい本当にありがとうございました。退院の日にユウに向けて下さった、先生の優しい笑顔いつまでも心に残っています。

杏林大学病院、教授様、ユウのために東大への道を作っていただいたり、いろいろ本当にお世話になりました。いつも優しい言葉をユウにかけてくださって、感激しておりました、本当にありがとうございました。

 そして、沢山のお世話になった先生、看護士のみなさん、本当にありがとうございました。皆様から頂いたユウへの愛情に、感謝の心でいっぱいです。

いよいよ4日から東大病院へ移植という治療に向かいますが、皆様の祈りが通じてかならず元気になったユウの姿をお見せすることを、誓いたいと思います…。絶対に元気になったユウをつれてまた伺います。そして大きく成長したユウの姿も必ず皆様にお見せいたします。本当にありがとうございました。

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