ユウは元気です(^-^)

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ユウの闘病記録  200411

この記録をつけるにあたり、心の中でいろいろな葛藤がありましたが、必ず我が子、ユウを、もとの元気な状態にもどし、この病気から完全完治してもらいたい、ただ、その願いのみで書き込みをしたいと思います。

娘、ユウの病名は急性リンパ性白血病です、はじめこの病名を聞かされたとき、絶望の淵にたたされた気持ちでした。何を見ても涙がでてしまい、なぜ?この子が、こんなに元気で風邪なども自力ですぐに治してしまう健康そのものの娘が、何かの間違いではないか?疑いました。入院した当日の晩もユウのことを考えるたびにたまらなく切なく悲しく、いまだに何をしていても、ふとした瞬間に涙がでてきてしまいます。今まで生きてきてこんなに悲しいとおもったことはありません、ただ、父である私が悲しみに浸って落ち込んでいる暇はありません。何が何でも我が子を助ける、医師と共に自分で出来る限りのことをしようと思っています。

「ユウちゃん、パパの大切な愛しい娘、絶対にパパが守ってあげるから、絶対に君を元通りの元気なユウちゃんにもどしてあげるから、頑張れ」無力ながら父としてできる限りの事をしたい、今はそう考えています。ユウを無事完治させ、この記録が希望への記録になるよう今は祈るのみです…

自分の身に起きた事、思ったことなど心の声も、全て隠さず記載していこうと考えた為、この日記では、信仰に関することや、その他いろいろな事、すべて伏せずに切り離すことなく記載する事にしました。 

20041119

この日を境に、自分達の生活が一気に変わることになるなんて、全く考えていませんでした。数日、帰宅の遅かった私は、その日の朝、妻からユウの体の異変について聞かされ確認、ユウのおでこには赤いできもののようなものが膨らんでおり、体中には青あざが分散、多少でもぶつけた箇所が異様に青くなっており、所々に赤いぷつぷつした斑点が出来ていました。数日前、とびひの治療のため飲んだ薬の影響だろうと軽く考えていましたが、念のため、近くの小児科の先生に診てもらいに行きました。その後妻から、血液検査を進められたと連絡、とりあえず下の子二人は私が帰宅してみることになり、妻がユウをつれ市立病院へ緊急検査に行きました。

その後連絡で、ユウは血液に異常があり、白血病の疑いがあるので市立病院から、三鷹の杏林大学病院へ行ってさらに検査を受けると妻から聞かされました、もう頭はぐちゃぐちゃ、でも、何かの間違いであってほしいという思いで、ひとまず他の子供達を私の実家にあずけて、私も急ぎ病院へ向かいました。

杏林に着いて病室に入ると、まだ幼稚園の制服を着たユウと、妻の姿がありました。ユウは左手に点滴をしていて、いったい何が自分に起こったのか、訳のわからない様子でしたが、元気に妻と話をしていました。私は涙を抑えながら娘を抱きしめ、ただ祈ることしかできず、この子を守って下さいと、ひたすら神様に祈るのみでした。しばらくして血液の先生や数名の医師の方がみえ、私は 別室で説明をうけることになりました。

ユウの症状や血液検査の結果から、間違いなく白血病であると診断、現在の数値は白血球が15万以上、通常1万くらいで明らかに異常をきたしているとのこと、血小板も非常に減少していて、今の状態で頭を打ったりしたら脳内出血で、命を落とす可能性があるとのことでした。私が、以前とびひの薬を飲んだのですが、その影響ではないか質問すると、その可能性は、まずないとのことで、白血病の発症については、現在も詳しい原因はつかめていないらしい。今後の治療方針として、輸血をしながら、抗がん剤による治療をしていくとのことですが、原因の白血病の種類が判別しないと治療の方針がたてられないのと、種類がわかってもユウの体が治りやすいタイプであるか、中間のタイプであるか治りにくいタイプであるかわからず、まず一週間治療して様子を見るとのこと、現在小児白血病は7割くらいが治っていると教えられる。 治療の過程において、輸血というのは絶対条件で、輸血による、HIV、肝炎などの感染の可能性も本当に少ないが、無いとはいえないとのことでした。

 

先生方から一通りの説明を受けたのち、私は病室にもどり、妻にも諸々の報告をして、いったん妻を帰宅させ入院準備にあたらせ、私がユウの側に付き添う事にしました。ユウに「頑張って直そうね、パパが絶対にユウちゃんの病気を治してあげるからね、何も心配は要らないからね」などと、話しながら、義姉に作っていただいた、おにぎりをユウに食べさせました。お昼からなにも食べていなかったせいか、ユウは食欲旺盛でおにぎりをぺろっと2個平らげると、いろいろ疲れていたのでしょう、静かにぐっすりと眠ってしまい、せめて私にできることはと、ユウを横にして、お腹や頭胸など、悪い所を退治するイメージを頭に夢中で半信半疑ながら手をかざし続け、妻が病院にもどるまで数時間、ひらすらユウの身体にながれる悪い病気を退治するイメージを私は送り続けていました。

 

その後、車でかなり泣いたのか、目をはらした妻が泣きながら病院に現れ、「私が悪いからユウがこんな病気になった」と、自分を攻め立てていて、私はその妻をなだめ、「ユウの弟が早産の恐れがあったときも、しっかり二人で守り抜いて誕生させたんだろう、今度も二人で何が何でもユウを助けよう、」そう話して妻を落ち着かせ、私はいったん他の子供達が待つ実家に帰りました。

 

実家で眠る息子のすがたを見ても、涙がでてしまい、正直、今まで生きてきた人生のなかで、こんなに悲しいことはないのではないか、我が子を失った方の悲しみは到底はかりしれないものだと思いました。でも、幸いユウはこれからつらい治療を始めるけれど生きている、助かる可能性もあるんだと、気持ちをしっかり持つようにして眠りにつきましたが、少し寝ては目が覚め悲しくなり、またさめては、どうしようもない悲しみと、胸が詰まる思いでいっぱいになりました。夢だったら、などと考えるがこれは現実であるとわかる度、声を出して泣きたくなりました。

          

20041120

朝、会社に顔をだし、あらかたの仕事を切り上げて退社後、先日約束していた、シンデレラ、オーロラ姫、アリエルなどの絵本を買って、ユウと妻の待つ病院に向かいました。ユウはベッドの上で元気に遊んでいましたが、時々そっと、不安な様子を見せていました。私はユウを抱きしめて、あいかわらず半信半疑ながら、自分なりにユウに気を送り続けました。その後、心配した私と妻の身内が飛んできてくれて、ユウはとても喜んでいました。

 

夕方に入って部屋の移動があり二人部屋個室から大部屋に移ることになりました。日のあたる場所で少し安心、同室にも大変そうなお子さん達がいて、心いたい思いがしました。今まで、全く別の世界とおもっていた、病とたたかう子供達の病室に、我が子と自分達もいると思うと、人は一寸先はどうなるか解からないことに、とても怖いものを感じました…。翌日は血小板の輸血をすると聞き、決して悪い血が我が子に入ってこないよう祈って、私は病院を後にしました。

 

1121

日曜日、私は必要な子供の服などつめて実家に行き、子供達を義姉と母にあずけて病院へ向かいました。着くと、ユウは、妻と共に遊んでいて、私は妻と交代してユウの側にいましたが、しばらくして血液検査があると言うことで、検査室に入るとき、ユウが号泣、先生方をてこずらせていました。私も検査室の側から離れられずおろおろしていましたが、中からユウの「やだやだ」という泣き声に、涙が出そうになりました、その後看護婦さんに部屋で待っていて下さいと言われ、仕方なく病室で待っていると、やがて、汗だくで、泣き崩れたユウが先生に抱かれながら出てきました…病室に戻ったユウは、それでも先生に「ありがとうございます」と言いなさいと、私が言うと、小さな声で「ありがとうございました」、と、いっぱい泣いて困らせたせいか、照れくさそうに先生に言っていました。その後所要を済ませた妻が病院にもどり、私はユウを抱きしめてのち、他の子の待つ実家へ帰宅しました

 

1122

この日は、朝から病院に到着、ユウの白血病の種別をはっきりさせるため、ユウの腰から、骨髄に注射して、その組織を少し抜き取る検査をしました。ユウ検査室に入るところから大泣き、先生方を中でもてこずらせましたが、無事検査を終えて、ボーっと麻酔の聞いた状態で先生に抱かれて出てきました、私が引き継ぎユウを抱き抱えて病室へ戻りましたが、しばらく麻酔のせいか、奇妙な行動ばかりとっていましたが、やがて眠りについてくれました、それと同時に先生から検査結果が出たということを知らされ、別室に妻と共に移動、詳しい内容を聞くことになりました。

 

検査の結果、ユウの病名は、急性リンパ性白血病、治療計画としては現段階では最新というL99-15という治療を受けることになる。抗がん剤による治療を10回くらい行う治療らしく、一回の治療を一ヶ月として一年は絶対入院といわれ、妻も私も愕然としました。

医師の説明では抗がん剤治療にも前に述べたとおり治りやすい治療、中間、治りにくいもの、放射線治療、最後の手段に骨髄移植とあり、これから一週間、ステロイドホルモンを内服して経過を見た結果、その治療方針が決まるということで、まだまだ、まな板の上の鯉、結果が良い方に出てくれることを祈るのみです。その後、薬による副作用について説明を、医師から受けましたが、聞けば聞くほど暗く落ち込むばかり、前向きに明るく考えて闘うしかないと考えても、とても辛く、今はこの子の白血病が治り、副作用もなく、無事、元の身体にもどって元気よく飛び回っている姿を想像して、前向きに考えて行こうと思います…。必ず治る、絶対治る。この子にはしっかり生きて、将来沢山の大切な仕事をする役目がある…だから絶対神様が、この子を元気に生かしてくださる。ただ、そう信じたいと思います。

 

20041123

自分も祭日のため、昼頃からユウに会いに行きました。妻にかわってユウの側につきそい、1日折り紙や絵を書いたり、いろいろなことをしてユウと遊びました。元気なとき、こんな風に遊んであげたことなどないなー、なんて反省…。お昼、薬を出されましたが、妻の言っていたとおり、なかなか飲まずに困りました、昼過ぎ眠くなったせいか、散々ぐずっていましたが、その後しばらくぐっすり眠ってくれました。目が覚めてからやっとの思いで薬をのませましたが、治療薬の中でも一番苦い薬らしく、吐きそうになってしまったり、大変でした。 これはこの先、妻も相当てこずるかなと心配になりました。

その夜、ユウの弟と妹をつれた妻が病院に戻り、久しぶりに再開した兄弟に、ユウもうれしそうに、ふたりの頭をなでたりしていました。そんな光景を見て、涙がでそうになりました…。しばらく一緒に家族全員で過ごしていましたが、やがてユウは妻と、他の子は私と共に、その場から分かれました…。何度も、家族が一緒に暮らせる喜びを感謝しなければと思っていましたが、喉もと過ぎればで忘れてしまう。つくづく反省です。

1124日or25

再び血小板の輸血を行いました。白血球数値が、はじめ入院時22万、その翌日30万くらいまで上昇、その後15万8万と減少して順調に良い感じで下がっていると先生から伺いました。

ユウは相変わらず苦い薬を嫌がっていますが、妻が怒ったりなだめたりしながら飲ませています。

 

1126

赤血球の点滴をうける 先生が以前おっしゃっていた、やがて環境になれるのと、あきらめて薬を飲むようになるとのことで、その通りユウも薬を一生懸命飲むようになっています。数値は順調に下がっているとのことで、薬は順調に利いている模様。顔色もよくなっており唇の色もピンクになってきて、この日は血液検査はしなくてOK

 

1127

数値結果、入院時の白血病細胞の数値を99%とすると現在は2%くらいに落ちているとのことを、妻から聞いて、一瞬喜びましたが、数値が0%にならないといけないらしく、これから数日どうなるか、現段階では中間の治療になるらしく、後二日間の薬の治療で0%になるよう、またまた、念とパワーを送ることにしました。皆で絶対にユウは守りぬく、絶対に守りぬくんだ…

 

1128

日曜日、妻とかわってユウの付き添いにつきました、薬は元気に飲んでくれるので一安心、本人も病気と戦うという意志をみせだしたのか、絶対に食べなかった、ほうれん草など食べるようになっています。ただ、あいかわらず好き嫌いは多いです、小さい時は何でも食べたのに…、いよいよ明日は薬治療による一週間目の検査、この結果でユウの治療方針が決まりますが、どうなるか…気がかりでならなりません。

朝、ユウのおじちゃんに会いたいという電話をうけて、横浜から妻の妹家族が遊びに来てくれました。ユウの弟が誕生の時、ユウが数ヶ月世話になってしまったり、ことあるごとに、助けていただいている家族で、ユウも感激していました。

その夜、病院の帰り道、あまりにも車でぐずる末娘を、強く怒ってしまいました、母から離れて慣れない環境で頑張っているのに、かわいそうに…、

寝顔にごめんねと何回もいいました。

 

1129

今日は朝から仕事の合間にネットでいろいろ白血病サイトを検索、薬治療による肝機能障害に目が行って肝機能について多少調べる、食事と出来たらお茶など見つけて、ユウの治療の手助けというか、抗がん剤による副作用をよわめるため、できるだけ頑張って何か探してみたいと思っています。今頃ユウの検査をしてることと思うが、気がかりでなりません、無事数値が0%に、なっていてくれることを祈るのみですが、今はできる限りの事をしながら、先生の治療方針に任せて頑張っていきたいと思います。ユウは絶対に守る…。

《パパからゆうちゃんへ》

ユウちゃん、これから辛くて大変な治療がまっているけど頑張ってね、

君は強い子だから乗り越えられるよね、パパもママも絶対にユウちゃんを守って

あげるから心配はないからね。ユウちゃんが元気になることを、パパとママはもちろん、弟も妹もそして沢山の本当に沢山の皆さんが祈ってくれているから、その祈りが絶対に通じて、必ずユウちゃんは、もとの元気なユウちゃんにもどれるからね、

まだ小さい君には、大変な戦いになるけど、苦しいけど頑張ってね。

さっき仕事をしながらユウちゃんが生まれたときのこととか、かんがえていました。

お腹にいるときパパはユウちゃんのことをオチビ、オチビと呼んでいて、生まれてすぐに看護婦さんから祐ちゃんを抱かせてもらったときに、パパがオチビと呼んだら、

君は片目をあけてパパを見たんだよ。パパの声がわかったんだ、と、その時すごくうれしかったんだ^^

生まれる日も、ユウちゃんはいい子で、ママの大好きなテレビが終わるまで静かにしていて終わったとたん陣痛がはじまったんだよ、

病院について間もなく元気に生まれてくれて、パパもママもユウちゃんが可愛くて、可愛くて、今でも可愛いユウちゃんだけどね。

お風呂が大好きでパパとお風呂に入る時は大はしゃぎ、その後、こうちゃんが

生まれるときはパパとママと離れても一生懸命、我慢して頑張ってくれた、本当に頑張りやさんのユウちゃん、優しいユウちゃん、妹が生まれて一番お姉ちゃんになっちゃってから、怒られることばかり、パパも時々強く怒ってしまってごめんね。

でもユウちゃんのことを心から愛しているよ。そして絶対にこの病気からも、

これからどんな事があってもユウちゃんを守ってあげるから、パパとママと一緒に

頑張っていこうね。

ユウちゃん、ファイト!

                                20041129

2004年1130

前日の29日に数値結果で顕微鏡による血液中の白血病細胞は見事0%でした。

それでも先生のお話から、はじめの数値が高すぎたため、一番低い治療では再発の恐れがあるとのこと、結果、中間の治療を行う事になりました。中間といってもハイリスクの治療で最終段階で放射線治療がまっているのですが、私が放射線はなくせないか?と先生にうったえ、長時間の問答になってしまいましたが、再発するとその白血病細胞は薬に強いものになってしまい、ここで徹底的に病気を倒す目的では、やはりやるべきとのこと、ここは医師にお任せするよりないか、と判断、なまじ中途半端にネットで情報を仕入れる事は危険であると思いました。

そしていよいよ、30日治療が始まります…はじめに、髄注といって、髄液に抗がん剤を注射で注入する治療に入る、ユウ妻の説得で処置室に行くが、中で母親が外に出ることになり大泣き、説得のすえ母が外でまっているからといったら納得してくれました。覚悟を決めた時のユウの根性はすごい…、その後安静にしていた所へ、私が顔を見せてしまい、起き上がろうとした所を、妻にとめられ大荒れの大泣き、張り詰めていたものが、切れてしまったのかな、頑張ったご褒美に、ディズニーのレターセットをあげた所、沢山の人の名前を私に書かせては、せっせと袋につめていました。

その後、妻と付き添いをいれかわり、ユウと一緒に過ごす、途中、急にぐずってみたりするが、薬も自分で一生懸命飲んだり、頑張って治すんだという気持ちが強くなっているようで、病は気から、大人でもへこたれる所、我が子の強く逞しさに関心しました。この子は絶対に治る、それに沢山の人の祈りが必ず通じる、今そう実感しています。

途中調布のおばあちゃんに会いたいと何度も何度も訴える。絶対に会いたいらしく、廊下に迎えにいくと言い張るので、しかたなく一緒に廊下に出て母の家に電話をしました。電話でユウが来て欲しいというと告げると夕方、母は喜んできてくれました。それまでしばらく、ぐずったり、遊んだり繰り返していましたが、ユウはおばあちゃんの登場で大喜び、一緒に長兄も来てくれ、おばあちゃんの手から食べ残したご飯もいっぱい食べてくれました。その後、母がユウのために、神様に祈ってくれて、ユウは静かにそれを受けていました。

 

不思議な事にその祈りと母のパワーが欲しくて、ユウはなんどもなんども母の事を呼んでいた気がしました。それまで一度も母の事をそんなふうに呼んで欲しいなんて言わなかったのに、何かを感じ取って母に助けをもとめたのでしょうか…

その後、兄もパワーを沢山おくってくれました、兄のパワーはすごそうで、本当にうれしかった。治る、この子は絶対になおるのだ、あらためて実感しました。

 

2004年12月4日

30日より開始された治療は1日2日3日と続きました、火曜日治療開始日なので、そこから4日治療して休憩を入れるペースでやるそうです。髄液の中に抗がん剤を流す、髄空内注入は次回15日ころからで、まだ行わないですんでいますが、薬が強いため確実に血管内の血液に、送り込まなければならないらしく、頻繁に点滴を打ち直しているのが、とてもかわいそうでなりません。心配していた、抗がん剤による、吐き気なども今のところ、開発されている吐き気止めの影響で収まっていて、ユウは元気に過ごしています。

 

わがままをいったり、時々すねたりはしていますが、日に日に精神的に成長しているようです。いまは、先生を信頼して治療は先生方にお任せして、私たちに出来る事はただひたすらユウを直接抱きしめて自分の持つパワーを送ってあげること、それから神様にユウの未来が、明るいものになるよう、後遺症などぜったいに残らないよう祈るのみです。

水曜からユウの弟を保育園にあずけましたが、けっこうスーツ姿のお父さんが子供をつれて来たりしているのに驚きました。1日、3日の夕方、ユウの弟をつれて病院へ向かいましたが、やはり兄弟久々に会ってじゃれあったり遊んだり、3歳の弟がお姉ちゃんのユウに大好きのちゅうをしようとしていたり、とても感動しながら二人の様子を見ていました。

ユウの白血病に関して、一つだけ気がかりは、まだ染色体の検査結果がでていないため、その結果いかんによっては、兄弟の血液検査をしたいとのことです、将来的にもしも骨髄移植となったとき、兄弟の物が合いやすいという事ですが、出来たらよい結果がでてくれて、その必要のないことを今は祈るのみです。

大丈夫絶対ユウは無事完治する、という強い気持ちで、気をしっかりもっても、ときどき弱気の虫が頭に入り込んでしまう…過去に自分の事でも常にその葛藤だらけでしたが、今はそんな弱い自分に渇を入れ、“ユウは絶対に守り抜く”、ただ、それのみを考えて祈り、抱きしめてあげればよいと自分に言い聞かせたいと思います…。毎日新鮮なパワーを送ってあげられるよう、常に心をプラスに考えて研ぎ澄まして、おかなくては…早速研ぎ澄ましにかかろう…

ユウは絶対に100%治るし、絶対に治す。改めて思い直す。100%治す!

 

20041210

今は少し精神状態が落ち着いたが、今週は正直地獄に叩き落されたような最悪な状態でした。

12月6日医師に、お見舞いにいっていた私と妻が呼びだされ、ユウの別の染色体検査の結果を知らされました。

始めに医師より非常に悪い知らせといわれ、その内容はユウの骨髄中のフィラデルフィア染色体というのが陽性反応をしめしており、この染色体陽性の場合現在の治療を繰り返しても、ほとんどが、この染色体異常によって再発してしまうらしい。

現在の抗がん剤治療だけでは治らず、もっと強い治療として骨髄移植をしなければならないと言われる。骨髄移植といっても具体的にどうするのかわからない私が、内容を先生に伺うと、ユウの身体に今まで以上の強い抗がん剤と放射線治療をほどこし、ことごとく白血病細胞を退治する、その結果ユウの身体では血液を作れなくなるまで骨髄などが破壊され、真っ白になった状態に新たに、ドナーの方からの骨髄液を点滴にて、注入移植、結果そこから新たな血液がつくられだすらしい。

 

ただ、本当に強い治療になる為、後遺症や、移植した骨髄による拒絶反応など、かなり難題をかかえており、現在骨髄移植後の延命率も50%くらいとのこと、強い放射線治療の全身照射の結果、子供が出来ない身体になる可能性が高い事や、その他の後遺症など晩期傷害の恐れもあるが、そこまでしなければユウの身体の白血病細胞は倒すことが出来ないとのこと…

妻も私も頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、病室にもどってユウの姿を見ても、涙を抑えるのに必死でした、ユウも私達の様子に、何かを感じ取ったようで、不安そうな顔をしていました。私もできるだけ何事も無いように装っていましたが、ユウを見ていて辛くてたまりませんでした。

しばらくして、ショックから外に出て泣いていた妻が、帰ってきました。妻の目は涙ではれあがっており、私もその場にいることが辛くて、ユウを妻に任せ、帰宅することにしました。その際、妻にどんな事をしてもユウは守るから、心配するな、必ず助けるからと励まし、病院を後にしました。ショックが大きすぎたせいか帰りの車でも、実家で母とそのことを話していても、涙はでませんでした。とにかく今は、神様に祈ることしか出来ず、神前にて神様に自分と妻、ユウ、家族の今までの罪を深くわび、ユウを助けて欲しいと深く祈って眠りにつきました。

 

その夜はやはりほとんど眠る事ができず、目を閉じるとユウが遠くに行ってしまう感じや、生まれたばかりのユウ、小さな頃のユウ、小さな身体で処置室に入って、恐怖におびえながら背中を丸めているユウの姿が頭にうかんで、胸が張り裂ける思いでした。

 

朝、目がさめてから、末娘の姿を見ていたら、小さい頃のユウが、おはようと始めて言った頃をおもいだし涙がとまらなくなってしまい、会社へ行く途中も、途方もなく辛く悲しく、声を立てて泣き通しでした。辛い、本当に辛いです。

ただ、唯一の救いは、子供のころから家族とともに、私も手を合わせ続けてきた、教会の先生が母からユウの事を聞いて、12月8日わざわざ病院にいらして下さるらしいので、そこで、神様の力をお借りしてユウを救う手段を教えていただけたらと、今は、藁をもすがる思いで、何事も素直に受け入れ信じることを心の拠り所にしようと妻と共に思いました。

その日、昼過ぎ自分の過去の過ちについて姉に電話、そこでしばらく話をしながら、沢山のアドバイスを姉からいただき、反省の数々でした。忘れないようその後メモして妻に渡してきましたが、ここでも少し書き留めておきたいと思います。自分の今までの高慢心、調子に乗ってたいそうな気になっていた自分に、気づかせていただくこと。それから、これから先、妻も自分も共に謙虚に潤いのあるこころになるよう、心の底から純粋に手を合わせユウにとって本当によき道を、神様のお力でお導きくださいと、強くねがうこと…

私たち家族の荷車からユウをはじめ、誰一人降ろさず皆で歩んで生きたいので、どうかお守りくださいと、心から祈ること、本当に夫婦でともに心立て直して、純粋に神に祈りをささげれば、必ず天は見方してくださる、今は暗雲に覆われ陽はみえなくても、必ず神の光が差し込み、ユウの身体を暖かく照らしてくださる。そう信じきろうと心から思いました。その日、病室にて静かに妻と話をして、私も妻も神様の救いを信じて、前向きに頑張っていこうと、そして、8日ユウのために、わざわざお越しいただける、教会の先生のお言葉を静かに、素直に受け入れようと、妻と共に心に誓うことにして、帰路につきました。1日たって少し落ち着いたのか、その日はぐっすり眠れました。

 

200412月8日

朝から子供達を義姉にたのみ、母と共に教会の東京出張所へ足を運ぶ、久しぶりに教会の入口を見てふっと涙がでそうになる、私の首の手術をしてから一年以上、その前からどれだけ、この地に足を運んでいなかったことか、つくづく自分の今までの高慢な心に気がつき、ただただ申し訳ないという心でいっぱいになる。出張所ではすでにお勤めが始まっており、神前横で静かに座られている教主様のお顔を見た瞬間、涙がとめどなく出てきてしまう。はるかに離れた教主様のお膝にすがって涙しているような感じでした。

本当に遠くはなれてしまっていた気がして、ひたすら申し訳なく心の中で、今までの自分をわび続けていました。その後、出張所でユウのことなどお祈りしたのち、以前から母が親しくさせて頂いている先生にお会いし共に病院に向かいました。

 

病院についた先生は早速眠っているユウの事を静かに真剣に祈って下り。その後、別室家族休憩室をお借りして、大切な神様のお言葉をいただきました。

はじめ先生に、私とは別に出張所の先生のもとも尋ねて、お伺いを立ててきなさいと御教えいただき、その後、先生は静かに「お役に立てるかどうか、解かりませんが、」と祈っていただき、私達にあたたかい神様のお言葉を、お話くださいました。

そのお言葉を思い返して記してみます。

「これから先も辛い日が続くとおもいますが、心しっかり通るよう、本当に心から潤いとやさしさ、誰に対しても心優しく潤いを持って生きること、心正して、神様に心からおすがりすれば、神様はお力をお貸しくださること…子供は神様からのあずかりもの、預かった以上はしっかりと神の用木として世の中のために役立つようしっかり育て上げる事、子は親の背中をみています、親が深く潤いを持って生きている姿を見せていれば、自然と子も潤いの心になること…」

 

本当に大切なことを妻と共に教わった気がしました。これからは、しっかりとした心で神様からの預かり物である、子供達を二人で力を合わせて育てて行こう。そう、共に心に誓いました。その後、すべては前生と今生の因縁のめぐり合わせ。しっかりその罪を懺悔しながら通るよう、その他、沢山の、私達がこれからするべきことを教わりました。神様が助けてくださりたいから、沢山のことを御教えくださっていると思い、これからは妻と共に感謝して心強くしっかりユウを守って行く事を心に誓いました。

元気にしているユウを見ていて、これからこの子が受ける強い治療、副作用など考えると、心が痛くてたまらなくなります。もっと早くに親が大切な事に気がついていたら、ゆうちゃんごめんね、でも絶対守るからね…今はただひたすら、神様のお力を信じて、自分達も心正しく生き抜き、奇跡をお見せくださることのみ信じて生きたいと思います。ユウにとってよき道をお導きいただき、誰一人かけることなく家族で共に歩いていきたいことを強く願い、自らも神の用木として生き、子供達もよき用木に育つよう、教育する事など反省しながら、ユウの身体に知らせている、あしき物のみことごとく退治して、よきもの必要なものすべて神様のお力でお守り下さいと祈るのみです。

しっかり心をつくって後は神様を信じ、全てお任せして通らせていただく事、これからも沢山の教えをうけてしっかり生きていこうと妻と共に心して行きたいと思います。 

 

12月9日は妻、私、子供達でユウの移植に適しているかどうか血液検査がありました。結果は一週間後ですが、よき道に親神様がお導きくださることを信じたいと思います。明日は妻と共に出張所へお参りとお伺いに行きますが、いかようなお言葉も、しっかり心に納めてきたいと思います。ユウも神様からのお預かりした大切な用木、親の心で病と戦うはめにさせてしまいましたが、家族、そして沢山の方々の祈りの力、親神様のお力をお借りして、必ず救っていただける…そう信じて行きたいと思います。

本当にありがとうございます。今は沢山の皆様、親神様にそうお礼を言いたい気持ちです。これからも苦しい日々や心休まらぬ日が多々あると思いますが、妻と共に心一つにして頑張りたいと思います。


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