ユウは元気です

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2006年10月5日

先月28日ユウが無事退院できました。あれからまだ一週間程度なのですが、なんとなくもっとたくさんの日にちが過ぎた、そんな気がしています。

胸のチューブも無事にとれて、傷口も今回はひどくなく、妻とほっとしています…。退院後公園でブランコから落ちてしまい、頭などは打っていないのですが、足の付け根をひねってしまったのか、かなり痛そうに歩いていて、とてもかわいそうです。心配だったので今日、こども医療センターに連れて行って、先生に診ていただきましたが、動きもスムーズだし心配するようなことはなさそうという事でホッといたしました。また今日は胸の抜糸もしていただき、傷口がふさがって落ち着けば、風呂もOKということです。

退院できたことが、本当にうれしいようで、ユウは毎日弟妹と、大騒ぎしたり笑ったりしながら、楽しくすごしています。先ほど、ユウのとなりで眠っていて、こうして隣に元気なユウが、また眠っている。この子のそばで、また過ごす事ができる、そう思うとたまらなくうれしくなり、親神様に心から感謝させていただきました。

何度も書きましたが、家族が一つ屋根の下で過ごせるということは、当たり前のようで、そうではなく、本当に心から感謝させていただかなくてはならない、尊いことであることを、あらためて実感しております。そしてこのことを、決して忘れることなく、私たちは親として、この子たちを正しいやさしい潤い深い心をもった子供たちに育てさせていただかなくては、そう心に誓わせていただいております。

何をどうするということではなく、まず自分たちがホコリをたてず、常に感謝と潤いの心ですごしている姿を子供たちに見せること、そんなことから実践させていただきたいと思い、毎日を過ごしております。

昨日会社で取引相手の会社の醜い争いに巻きこまれてしまい、私の会社も大きな損失を出してしまうような事態が起こってしまいました。以前でしたら、そのことに対して相手のことを腹立たしさと、苛立ちで憎み、むらむらした心をいつまでも、引きずっていたところですが、帰宅後、ユウの笑顔をみながらすごしていたら、そんなことは忘れてしまい、逆に相手の方たちのことを、親神様に、かわってお詫びさせていただくことが出来ました。それと同時に、原因は私たちの浅はかな考えにあったことにも、気がつかせていただくことが出来ました。会社のことは、親神様にお任せしよう、そう心にきめ怒りや恨み心を、洗い流させていただいた結果、本当にすがすがしい気持ちに戻らせていただくことができ、今も書き込みをしながら、感謝させて頂いております。

恨みは恨み心、憎しみは憎しみ心を自分の中に生み出してしまう、どんな状況におちいっても、すべては自分が蒔いた種であると悟らせていただけば、きれいに洗い流すことができる…。たとえ損失はでてしまっても、今回のことは自分が蒔いた種であると、お詫びさせていただくことが出来ました。

ただ、こうして書かせていただきながら、ふっと思ったのですが、新聞などで見る、本当に凄惨な事件などに巻き込まれたときに、果たしてこうしてゆとりをもって洗い流すことが出来るでしょうか?… 相手を呪わずに自分の蒔いた種と洗い流すことが出来るかどうか。やはり今の私ではむずかしそうです。

でも、以前お道で教わった、常に頭低く、前世のおこないをお詫びさせていただきながら、潤いと感謝の心を忘れずに過ごさせていただければ、「大難は小難に、小難は無難に」と、親神様にご守護いただける、そう教えて頂きました。振り返ってみて、もしも、もっと心から、感謝させていただき、自分たちの罪を、お詫びしながら生きていたら。ユウもこのような苦労の道を歩まずにすんだだろうに、そう感じております。

ただ、今更おきてしまった事に後悔しても始まりません。今からでも遅くない、再発したときに親神様に、もう一度チャンスをお与えください、元気にユウが戻って来られたら、今度こそ親神様の御心に、近寄ることが出来るよう努力させて頂く。そうお願いさせていただいた誓いを守り。いただいた奇跡を大切に心から感謝しながら、これから先、通らせて頂きたいと思います。夜中なのにユウがおきてきてしまいましたので、今日は失礼いたします。本当にありがとうございます

2006年11月3日

一月ぶりの日記になっていまいましたが、おかげさまでユウは順調に元気に自宅ですごしています。
病院の先生のお話では、幼稚園も無理をさせないていどなら、OKをいただくことができました。
あとはユウの気持ちしだいで行きたいときに、行き始めようねと、妻はユウに話しているところです。
時々不安になることもありますが、今はひたすら親神様にお任せさせていただいて、通らせていただこうと
妻と話しながらすごさせていただいているところです。

先週病院に検査に行く前に、ユウが頭がまた痛いといいだしたり、しばらく首が痛いなどと言う事が
頻繁で、腕の付け根部分に小さなあざが見えたりもあり、本当に不安でいっぱいになることがありました。
そういう時は、私自身のこころも不安定なこともあり、下の子にたいしても強く怒りすぎたり、カリカリしだすと
すぐに不安な材料が顔をのぞかせてしまいます。
幸い検査結果もんだいはなく、その後ユウも頭が痛いなどと言う事はなくすごしていますので、ひとまずは
ほっとしながら過ごしている所です。

家庭で小さなことでいらいらしたり、どうしても弱い自分にはありますが、そんな時、ユウが再発したという知らせを
聞いてまた真っ暗闇の家族がばらばらになる生活に対する、せつなさ。それに、せっかく治療を終えて幸せに
すごしていたユウの深い悲しみの泣き顔、そんなことを思い出すたびに、こうして親神様のご守護によって
家族が一つ屋根の下で過ごさせていただけるチャンスを与えてくださったことを、心のそこから感謝させていただか
なくてはいけないと、妻とともに反省しながらすごしています。

また不安な気持ちがよぎったときは、再発の知らせから真っ暗闇のなかに家族が落とされたとき、
この状態でユウを救っていただけるには、本当に親神様による奇跡のお力にお救いいただく以外ないのではないか
本当に思わせていただきました。
そして、その不思議なご守護によって、こうして二度目の移植を乗り越えて、ユウは家族そろって楽しくすごさせて
いただいている。大好きな温泉にもいけるし、おいしくご飯も食べることが出来る。
これは、すべて親神様による鮮やかなご守護のたまものであるのだから、これから先もユウのことは、親神様に
お任せしきって、私たち夫婦は心汚さず、最初に親神様とお約束させていただいた、潤いの心を忘れずに
毎日を過ごさせていただけたら、そして少しでも親神様の御心に添えるよう、用木としての大切な与えられた
仕事をさせていただこう、そう心に誓わせていただきました。

またそう思わせていただくことによって、不安心は薄らぎます。
どれだけ神さまのお言葉を信じきれるか、私たちの心にかげりがでると同時に、不安も現れてしまいます。
お任せしきってしまう心、そして心から信じきることで、不安を打ち消しながら生かさせていただいています。

話はさかのぼりますが、先月15日おうかんみちの川口西分教会へユウをつれて母と家族でお参りをさせて
いただき、そこで以前ユウのために暖かくいのってくださった先生方、また会長さんご夫妻にもご挨拶させて
いただくことができました。こうしてユウをつれてお参りさせていただけたことに、心からありがたさを
感じました。その帰り道に東京主張所へもお参りさせていただきましたが、そこではちょうど夕方のお勤めを
なさっている最中で、私たちも後ろでひっそりとお勤めをさせてただきました。
お勤めがおわってから、出張所の方がユウのことを、「とてもきれいな目をした子ね、」とユウのことを
澄んだ綺麗な子供とほめていただくことができました。
またその二日後、出張所で何度もお伺いをしてくださり、とても世話になっている先生のお宅にも、
ユウを連れておじゃまさせていただきました。

そこでユウのおさずけと、私たち夫婦へのおさとしもいただいてまいりました。
本当にありがたく心から感謝させていただきながら、長い時間いろいろなお話をいただくことができました。
また、最近になって気がついたことですが、ユウは私たちに本当に大切なことを、身をもって教えてくださった
同時に私たちの心が、邪気に満ちて行く所を食い止め、正しい心のありかたを教えてくれた、私たち夫婦はじめ
周りの人たちの魂を救ってくれた。そんな気がしたなりません。
そうおもい感謝させていただいてたところ、今年の4月、おうかんみちの先生からいただいた、お言葉を
メモしてくださった紙が目に留まりました。
その中に、
「長女の身上はただの身上ではない、家族助けるための身上と受け取ってもらいたい。」
そういうお言葉が出ておりました。あらためて感動させていただくことが出来ました。

また先日頭が痛いと寝ているユウのことを必死に祈りながら、手をかざしていたとき、
ユウの小さな声がこころに響いた来たいたしました。
昔から鈍感な私には、それが私がおもっただけのことなのか、ユウからのメッセージなのかわかりませんが
そのとき小さなユウの声で
「パパとママがラブラブで、ユウのことをいっぱい毎日抱きしめてくれれば、心配はないよ。」
そんなメッセージが届いた気がいたしました。
夫婦いがみ合うことなく二人で決して心の隙間を作らず、たっぷりの愛情を子供たちに注ぐことこと
一番に大切なことである。そうユウから教わりました。不思議なことを言うところのある娘ですが、これは
ユウが教えてくれたことに間違いないと素直に受け止めて、妻としっかり守りながら過ごして生きたいと思いました。

またすぐに不足心が顔をのぞかせてしまう私の癖もすてさり、無欲に親神さまにお任せさせていただくことで
日々通らせていただきたいと思います。



2006年11月25日

前回の書き込みからしばらくたってしまいましたが、おかげさまでユウは元気にそして順調にすごしております。11月14日はマルクと髄液の検査がありましたが、何事もなくほっとしております。15日から三日間、姉がディズニーランドに私たち家族を招待してくださり、ユウもミッキーさんに会えたりと、大喜びしていました。

ディズニーランドで、楽しそうにしているユウを見るたびに、涙がにじんでしまい、こうしてこの子を抱きしめながら、こんな楽しい場所に来ることが出来たという事を、心から神さまに感謝させていただくことが出来ました。

また、妻とともに何度もお話しますが、家族がそろっているということへの幸せ、何者にも代えられない幸福

を毎日実感させていただいております。以前は、喉もと過ぎればで、家族がそろっているという大切な幸せを忘れて本当の意味での感謝ができなかったことがありましたが、今は決して免罪符で言っているのではなく、心のそこからありがたく尊いことであると、妻とともに感じております。

再発の知らせを知って、教会のO先生が、お伺いしてくださったとき、親神様から「感謝がたりない」そう伝えられました。今になって振り返ると、家族がこうしてそろっているだけで、どれだけ幸せでありがたく、決して当たり前ではないのに、心から感謝していなかった自分たちに、気がつかせて貰う事ができました。

満ち足りた生活の中で、不足心をむき出しにして、「あーしてほしい、こうしてほしいと、ほしい、ほしい」という心を、平然と使って過ごしていましたが、そういった心がどれだけ感謝がたりず、おろかな心使いであるか、身にしみてわからせて頂く事ができました。

また、今月からユウも幼稚園に通わせていただいております、先生方も大変な所を本当に暖かく迎え入れてくださり心から感謝しています。ユウは仕方ないことですが、どうしても短い髪の毛のことを他の子供から言われて、ショックを受けることもあるようです、でも、幼稚園はとても楽しいと喜んでおります。

また弟がお姉ちゃんをしっかり守るんだと、たくましく成長した姿をみせており、ユウの病気を通して、他の子がたくましく、そしてやさしい子に成長してくれていることを知りました。親神様より通らなければならない道、そう以前お諭しをいただきましたが、私自身も、本当の意味での感謝というものをよく分からせて頂くことが出来ました。

今月は東京出張所で、ユウをはじめ他の弟と妹たちの七五三も祝っていただくことが出来ました。ユウは6歳だったのですが、前にやることは大丈夫と教わり、子供たちそろって兄弟三人で元気に七五三も迎えられ、あらためて幸せを味あわせて頂くことができました。まだまだ油断はできませんが、私たちが大切な心、そして日々の日常を心から感謝して、しっかり通らせて頂くことが出来れば、絶対に大丈夫、親神様が必ずご守護くださると、心から信じて毎日しっかり用木として過ごさせていただきたいと思います。

2007年1月14日

なかなか書き込みをできませんでしたが、おかげさまでユウは元気に過ごさせていただいております。
12日は移植後半年のマルクと髄液検査がありましたが、おかげさまで顕微鏡レベルの検査結果では
良い状態だということで、少しほっとしているところです。
髄液の中にいた、悪い細胞らしきものは見当たらず、かわりに別の顔をした細胞が見えているそうですが
先生のお話では、GVL効果で私の骨髄による免疫が見回ってくれているのではないか?
そういうお話をしてくださいました。

正直、検査のたびにどきどきしてしまいます。
神さまにおまかせして、といいつつもどうしても不安の心がよぎってしまう、本当に弱い自分には困ってしまいます。
自分自身の行いに不安があると、どうしても不安がひろがってしまうようで、本当に心を作らなければ
ならない、ありがたい修行の年月を娘の病気を通してさせていただいているような、最近そんなことを
よく感じるようになりました。

昨年暮れに、ささいなことで妻とけんかになってしまい、ユウを泣かせてしまうことがありました。
妻はよその夫婦も口論をしたり、そうして成長しているんだからと、甘く考えておりましたが、その日の夜
ユウは怖い悪者のおじさんに、部屋のほうで腕を引っ張られて連れて行かれそうになってしまった
恐ろしい夢をみてしまったと、翌朝妻に話したそうです。
妻も私も昨年、ユウがワニに襲われそうになったなどという夢のあとに恐ろしい再発の知らせを受けてしまった
ため、背筋が凍る思いになりました。
妻が、お世話になっている教会の先生のもとに、そのことでお電話をさしあげたのですが、そこで先生から
決して隙間を作ってはいけないと注意しているのに、しっかりしなさいと注意をうけました。
私もその数日前に那須の教会で先生にお会いして、油断なきよう注意をされて来たにもかかわらず
甘く油断していた自分自身に反省させられました。

その翌日、先生の都合があいているということで、無理にお願いして、年末のご挨拶をかねて
お宅にお邪魔させていただきましたが、そこでまたいろいろありがたいご指導をいただくことができました。

また、ユウが見た夢というのも、前世からのうらみつらみが因縁となって現れてきたそうで
先生に台にたっていただき、神さまからいろいろなありがたいお言葉や、前世のことなど、教わってまいりました。

その前世のお詫びと慰霊を終えたその日に、忘年会でよって悪い醜態をさらしてしまう事件があり
あらためて自分自身の弱き心に反省する年末となりました。
すぐに行いについてお詫びさせていただいたのですが、またしても不安の気持ちがよぎってしまい
そんなときに限って、ユウは顔色もさえず、唇もあまり良い色でなくなってしまっているように見えて
年末から正月にかけて本当に心配で一杯になってしまいました。

年末の夫婦のいさかい、それをお詫びして舌の根も乾かぬうちに、酔った上とはいえ悪い醜態をさらしてしまい
そんな自分たちの行いに自身がなく、そんなときは本当に不安にさいなまれてしまいます。
自分がまっすぐに生きていればよいのですが、これから先はしっかり気をつけながら生かさせていただこうと
おもいます。

元旦二日と不安心が一杯だったのですが、3日朝、母を温泉にでも誘おうと、妻が電話したとき
母は姉に呼ばれておうかんみちの那須本部へお参りに行こうとしているところで、私たちは今年の正月は
寒い地で遠乗りも少し控えようと、行かないつもりだったのですが、今思えば親神様から導かれて
足を運ばせていただくことができたと感じますが、それを気に家族で母を伴って那須にお参りさせていただく
ことになりました。
那須についてご神前に家族そろって手を合わせ、昨年の感謝をさせていただきました。
そしてお初言葉という、今年最初のお言葉をひとりひとりいただいてまいりましたが、そのとき私がいただいた
お言葉は

「親神の心にもたれて通りたならば、恐きあぶなき道は無くなる。」

という、親神様を信頼しきればよいものを、それもできず、ユウのことで不安と恐怖の心を消しきれないで
迷い込んでいる自分にとっては、そのお言葉がどれだけありがたかったか、まさに自分にとって今もっとも
必要なお言葉をいただくことができました。

また妻は、「苦労はさけてみてもまたすぐに来る。ここはたんのうの心を養ってください。
苦労のあとには楽しみがあることを悟ってください。」
というありがたいお言葉でした。
本当に自分たちが今こうした心構えで生きなければならないお言葉を、見事にいただくことが出来て
心からありがたく、親神様に心から感謝させていただくことができました。

そのお参りさせていただいたときをきっかけに、その夜、ユウの唇がここすうじつ、薄い心配な色だったものが
きれいな健康そうなピンクにもどっており、ほほもほんのりピンクに色ついて、顔色もよくなっていることを
感じました。
今振り返ってみると、あの日那須の教会で、危ういところを親神様が鮮やかに救ってくださったのだ、
心からそう感じております。
おかげさまで検査の結果もよい結果をいただくことができ、遺伝子レベルでも絶対に大丈夫
今はそんな強い心で過ごさせていただいております。

また、ユウがいただいた、お初言葉ですが
「自分をいつも不幸せと思うていたなら幸せは遠い。日々はたんのうのお心をおつくり下さい。」
という私たちがこれから先、ユウを育てていく上で、この子に教えていかなければなからないもっとも
大切な教えがつまった、ありがたいお言葉をいただくことができました。
この言葉をぜったいに忘れることなく、これから先、この子が幸せに過ごせる道を、教えていけるよう
私たちもこのたんのうの心をこころに、生かさせていただこうと思います。

たんのうの心、妻のいただいたお言葉もそうでしたが、私自身もこのことを、もう一度学びなおして
この子に教えさせていただこうと思います。

ps、ユウは今日は公園で凧揚げをして遊びました、元気に走り回って、よく笑い本当にみんなで元気に
過ごさせていただきました。
この幸せな時間が末長く続くよう、心しっかりと折らせていただきたいとおもいます。

2007年3月6日

毎日あわただしく、気がついたら夜中になっており、なかなか自宅での更新ができずにおりましたが
おかげさまで現在、ユウは元気に過ごさせていただいております。
数日下痢気味でGVHDの影響からか心配はありますが、当人はけろっとしながら、楽しそうに弟たちと
遊んでおります。
前回のマルクの結果は遺伝子レベルでももんだいはありませんでした。
その後の採血結果も順調ということです。
まだまだ油断はできず、長い道のりではありますが、しっかり心を作らせていただきながら、家族でユウを
守って行きたいと思います。

思うことあってひっそりと公開させていただいておりましたHPですが、先日親しくさせていただいている
方から、目立つところにリンクを設置しなさいとお言葉をいただき、私が以前から作っていましたサイトの
トップへリンクを設置しました。
自分ごとでなく、娘の病気のこととあってどうしても表立っての公開をためらっておりましたが、
これから先同病で闘うお子さんや他の命をかけて闘っている方にとって、少しでもお役に立てればと
考えております。
といいつつ私たちも、まだまだ同じ闘いの渦中のなかにいるのですが、乱すことなく神様にもたれながら
強い心でがんばって行きたいと思います。

数日前、心の隙について考えました、自分の心にやましい心や行いがあるときは、必ず不安の芽が
噴出してしまいます。
そうした不安の芽によっておびえることで、そこに隙間ができてしまう、その隙間を作らないために
みずからしっかりした心造りをさせていただきたいのですが、どうしても人は弱いもので、気持ちに油断が
生じてしまい、軽薄な行いをしてしまうことが多々あります。
そのたびにもやもやしたおびえを持つことで弱い心になってしまうことこそ、もっとも危険なことである。
とり方によっては言い訳がましい言葉になってしまうのですが、小さなことであれこれ心配するのでなく
大切な潤いとやさしさのこころを忘れずに生きるとい本質を忘れなければ不安に感じることなど決して無い

正月に親神様から頂いた、親神に持たれて通りたならば、恐き道は無くなる、そう心に
生かさせていただこうと思いました。

ps日曜日ユウが救急で病院にいく事件がありました、原因は節分の豆をいたづらで自分の鼻に入れたところ
取れなくなってしまい大無きで、私のところへ走ってきました。
鼻吸い機をつかったりがんばってもなかなか取れずしかたなく救急で病院へ行き、先生にとっていただきましたが
出てきた豆はふやけて、煮豆のような大きさに変身しておりました。無事解決してほっとしましたが
ふっと鼻の穴に豆をつめてシャンソンを歌いながら飛ばす、お笑いさんを思い出して、あれはあまり子供の見る
テレビでは流すべき芸ではないなと、病院の待合室で考えておりました。

そんないたずらをするくらい、ユウは元気にすごしています^^

2007年3月26日

先々週おかげさまでユウは無事幼稚園を卒園できました。来月は小学校へ入学します。本当に元気にすごしております。先週の血液検査の結果も順調で顔色もよく、食事もよく食べています。薬の影響からのむくみもなくなってきており、皆さんから、やせたと言われるようになりました。

私たちにできることは、この子がどんなことでも話してくれるよう、暖かく包むことで心を開かせてあげること、そしてがんばって戻ってきたユウを、親神さまのような本当に暖かく優しい心の光で包んで守ってあげること、そして家族が一つになって暖かい輪をつくり守りぬいていくこと大切なことはそこにあると思わせて頂きました…。また昨日末娘がひどいきかんぼうになっており、妻に頼まれてお授けをさせていただきましたが、そのとき、親神様より御叱りの言葉が頭にうかんだ気がいたしました。

「子は親の鏡、末の娘の行動はそなたの心の合わせ鏡、そなたの心が荒れていれば、かならずその荒れた心を受けて、子供も荒れてしまいます。まず、自らが潤いと優しさの心をとりもどして、己の行動を見直してみること、がみがみしかるよりも、まずは己を見つめ直すことです。」そんな言葉が胸にうかびました。

そして振り返ると数日前より荒れた心でこどもたちに接したり、感情で怒って脅えさせるような行いをしていた自分自信に気づかせていただくことができました。

また、ユウのことでは、神さまより、「長女のことは心配せずとも、この神がしっかり横に寄り添って守っているので、病に関しても、学校生活に関しても、先暗示せぬようしっかりと、任せる心、そして温かく潤いの心で日々すごせるよう心の修養に励むように」そうおっしゃっていただけた気がいたしました。

ユウのそばに美しい親神様の光が静かに寄り添って、この子の行く先々でしっかりと守って下さっている、そんな姿が頭に浮かんできて、とても心強くありがたい気持ちでいっぱいでした。

ユウにはこれから先大切な役目の仕事がまっている、その仕事をするために、いろいろな経験をすることになると思いますが、かならず横に親神様が、よりそってお守りいただいている。とてもありがたく心から感謝させていただくことができ、それらのことを妻にも、お話させていただきともに強い心で、これから先もユウに対して心ない言葉を言う子がいたとしても、けっして怒らずこころ乱さず、この子ならその位乗り越えられる、そして強くなってくれる、この子は決して一人でなく、親神様がともに歩んでくださっている。そう思わせて頂きたいと思います。

昨夜そう心定めして、わが子たちを暖かい心で抱きしめさせて頂きましたが、結果不思議

なくらい末娘が素直で良い子になっておりました。

ps、ユウは朝同じマンションの御姉さんに連れられて、小学校へでかけました。沢山の人のやさしさに包まれながら、この子はゆっくり大きく成長させていただいております。ほんとうにありがとうございます。

2007年4月10日

今月6日ユウは小学校へ入学しました。
昨日から本格的に学校生活がはじまりましたが、楽しいことも多い反面
やはりおもっていたとおり、心無いこどもたちからいろいろなことを言われてしまったようです。

移植の影響から皮膚にかさかさしたところや、多少ケロイドのような後がでていることと
髪の毛に少し白髪がまじってしまっているせいでしょうか、昨日は男の子から
「古い人間」などといわれてしまったそうです。
それでもユウは知らん振りしたんだと、話していましたがやはりショックもあるようです。
私自身こどものころ、心無い言葉で他の子を傷つけてしまうことが多々ありましたが
あらためて振り返って反省させられております。

ただ、以前江原さんが話していたことばに、
「神様はその人に背負えない荷物は決して背負わせない。」そういう言葉を思い出しました。
この子は強い子です、多少のことでへこたれる子ではない、そう心強くおもってこれから先、ユウの人生を
サポートさせていただこうと思っています。

私たちにできることは、この子がどんなことでも話してくれるよう、暖かく包むことで心を開かせて
あげること、そしてがんばって戻ってきたユウを、親神さまのような本当に暖かく優しい心の光で
包んで守ってあげること、そして家族が一つになって暖かい輪をつくり守りぬいていくこと
大切なことはそこにあるとおもわせていただきました。

また昨日末娘がひどいきかんぼうになっており、妻に頼まれてお授けをさせていただきましたが
そのとき、親神様より御叱りの言葉が頭にうかんだ気がいたしました。

「子は親の鏡、末の娘の行動はそなたの心の合わせ鏡、そなたの心が荒れていれば、かならず
その荒れた心を受けて、子供も荒れてしまいます。
まず、自らが潤いと優しさの心をとりもどして、己の行動を見直してみること、がみがみしかるよりも
まずは己を見つめなおすことです。」
そんな言葉が胸にうかびました。
そして振り返ると数日前より荒れた心でこどもたちに接したり、感情でこどもたちをおびえさせるような
行いをしていた自分自信に気づかせていただくことができました。

日曜は出張所へお参りさせていただき帰りに渋滞などでつかれており、その夜些細なことで息子を
しかりつけてしまいましたが、
御参りに行って疲れて、いらだってこどもをしかっていたのでは、なんのためにお参りさせていただいて
いたのか、振り返って深く反省しております。

また、ユウのことでは、神さまより
「長女のことは心配せずとも、この神がしっかり横に寄り添って守っているので、病に関しても
学校生活に関しても、先暗示せぬようしっかりと、任せる心、そして温かく潤いの心で日々すごせるよう
心の修養に励むように」
そうおっしゃっていただけた気がいたしました。

ユウのそばに美しい親神様の光が静かに寄り添って、このこの行く先々でしっかりと守ってくださっている
そんな姿が頭に浮かんできて、とても心強くありがたい気持ちでいっぱいにさせていただくことが
できました。

ユウにはこれから先大切な役目の仕事がまっている、その仕事をするために
いろいろな経験をすることになると思いますが、かならず横に親神様が、よりそってお守りいただいている。
とてもありがたく心から感謝させていただくことができ、それらのことを妻にも、お話させていただき
ともに強い心で、これから先もユウに対して心ない言葉を言う子がいたとしても、けっして怒らず
こころ乱さず、この子ならその位乗り越えられる、そして強くなってくれる、この子は決して一人でなく
親神様がともに歩んでくださっている。
そうおもわせていただきたいと思います。

昨夜そう心定めさせていただき、わが子たちを暖かい心で抱きしめさせていただきましたが
結果不思議なくらい末娘が素直でよいこになっておりました。

ps、ユウは朝同じマンションの御姉さんに連れられて、小学校へでかけました。
沢山の人のやさしさに包まれながら、この子はゆっくり大きく成長させていただいております。
ほんとうにありがとうございます。



2007年4月16日

明日はユウのマルク(骨髄検査)と髄液の検査があります。
いつもの事ながら、この検査の前は緊張でいっぱいになります。神様にお任せさせていただいてと
言ってもどうしても人間心の弱さが出てしまい、妻とともに「大丈夫!親神様がご守護してくださっている」
そう勇気付けあってすごさせていただいております。

ユウはとても元気に今日も学校へ行かせて頂いたりしておりますが、先日妻が「ユウが頭が痛いと言っていた」
そうきかされて、青ざめる思いになりました。またその日の朝も目覚めると同時に頭がいたいと言い出し、
とにかくユウの頭をさすりながら、親神様にお守りくださいと強く祈らせていただいておりました。

先日胸の中で感じさせていただいた、「あんずることはない、」という神様の言葉を信じよう
そう心に訴え続けながら強い気もちですごしております。
私自身も反省することが多々あり、そしてするべき仕事もせずぐうたらに過ごしておりましたが、
こういったきっかけがなければ、すぐに甘い心になってしまう自分自信の弱さには、こまったものです。

幸いユウは昨日などは頭も痛くないと元気に過ごしております。

一昨夜は妻とも反省を語らせていただいておりました
「事が起こってから反省するのではいけない、以前再発したとき反省したことを忘れてはいけない」
そして、何度も書かせていただいていますが、家族が一つ屋根の下で平穏に暮らせると言うことが
どれだけ尊くありがたいことであるか、私たちは決して忘れて生きてはいけない。
そう、こころから自らの過ごしかたや、心使いを振り返って改めて軌道修正しようと心に誓わせていただきました。

ユウは絶対に大丈夫、検査結果も無事クリアして今年12月は伸びた髪の毛にリボンをつけさせていただいて
那須本部へ御参りさせていただける。
家族がみんなそろって笑顔で本部の入り口をくぐらせていただける。そう信じて明日に向かいたいと思います。

そして、あらためて「自分自身親神さまの心に近づけるよう、低い水心、潤いのある優しい心で過ごせるよう
しっかりと学びを収めさせていただこうとおもっています。
そしてついつい出てしまう欲の心も捨て去れるよう、心を強く持ちたいと思います。

ユウを救っていただきたいという一心の免罪符ではなく、これから先、常に忘れず心ざしたいと思います。

そういいながら、振り返ると今日反省することがありましたが、あらためてしっかり心を作りたいと思います。

まずは明日、顕微鏡によるマルクの結果が、ばっちり大丈夫でしたよー、と、この日記に記したいと思います。

神様がこの子には将来大きな仕事をしてもらわねばならない、そのために神が守っています。
そう感じさせていただいた思いを新じて、今自分に出来ることを勤めて行きたいと思います。




2007年4月18日

昨日マルクと髄液の検査を受けてきました。
おかげさまで昨日の検査結果では、骨髄には悪いものはいないとのことで、
髄液のほうには前回の検査では11個くらいいた細胞(悪性ではないらしい)が7個になっており
昨日の検査ではっきり色づけはできなかったのですが、先生のお話では数が減っているということは
おそらく悪性のものではないだろうとのことでした。
朝の採血で白血球が11000もあったらしく、妻もマルクの結果がでるまでは、すごく緊張していたそうです

白血球に関しては疲れがたまると上がることもあるらしく、骨髄のなかが綺麗なので問題はないそうです。

さすがに昨日私も、4時を回ったあたりから、緊張しておりました。
長男をつれて出かけていたのですが、車のなかでなかなか妻からの連絡がこなくて
一生懸命神様に祈っていました。

ユウは昨日はかなり麻酔が効いていたようで、4時ころまでぐっすり眠っていたそうです。
夜も疲れがたまったのか、車でぐっすりねむていました。
ユウを抱きかかえて車から自宅に運びながら、何度も「がんばったね、えらかったね」
と褒めて上げました。

病院へ行く途中でユウは思い出したように、学校で同じクラスの女の子からトイレで「そばに来ないで」
と言われたことがショックだったことを、話してくれたそうです。
妻も話を聞いてくやしかったらしく、そのことを病院で看護婦さんに聞いていただいたところ、その看護婦さんは
真剣にユウをおもって涙してくださったそうです。
その話を聞いて、私はユウは幼稚園のほかに、こうして涙を流してくださる暖かい病院という学び舎を
卒園したんだ。
この卒園はユウにとって本当のやさしさを学ばせていただくことが出来る暖かい経験だったんだ
そんなことを思いました。

人はいろいろな経験を通り抜けて大きく成長する。
ユウもそして病院でがんばっている子供たちも、みんな辛いけれど、大きな闘いを乗り越え
そして経験して学びをおさめているんだ、頭が下がる思いでおりました。

そして病院と言う学び舎を出た後も学校や社会のなかで、ほかの子とは違うと言うことから
冷たい視線をうけてしまったり、いろいろな思いを乗り越えなければならない
ユウを通して、また他の沢山の病と闘っているこどもたちを通して、あらためて私自信やらなければならない
大切な仕事があるよな気がしております。

この日記をつけはじめたころ、書いた記憶がありますが、病院の中で闘っているこどもたちそして家族
自分はまったく、そんな世界は関係ない世界とおもい、雲の上から同情のこころでそして覚めた目で
そういう方々を見ていました。私自信もそうだったように、世の中のたいていの方はそう思って生きていることと
思います。
そして心無い言葉をいえる子供たちも、そしてその家族もそうでしょう。
私たちだってユウだって健康で、学校に入学したら、そしてユウと同じような境遇の子を見たら
どういう行動をとったかわかりません。

でも、今のユウなら、そしてこれから先大きく成長したユウなら、あたたかく優しい心そして言葉で
その子を包んであげることができる。
そう思いました。

私自身もやらなければならないこと、これからじっくり見つめながら、出来るだけ早く実行させていただけたら
そう思っています。

psユウはさすがに昨日のマルクの傷が痛いことから、朝学校行きたくないとダダをこね
結果休んでおります。
はじめは学校についていけなくなると、そう思い行きなさいと妻とともに言っていましたが
全身麻酔の翌日で私も経験したあの骨の痛みを考えると、今日は休ませて正解と改めて思いました。

学校の勉強よりも、集団生活よりも、大切なことは健康と命です。
あらためて思わせていただきまいた。

本当にいろいろご心配をおかけしてありますが、
ユウは今日もとっても元気です。


2007年6月12日

 しばらく日記も空いてしまいましたが、おかげさまでユウは元気に小学校へ通わせていただいております。
学校ではなかなか友達と話すことが出来ないらしく、先生が心配なさっていましたが、もともと人見知りの
多い子で、病院生活のブランクや大量療法による成長の遅れなどを考えると、あわてずじっくり見守らせて
いただこうと、妻と気持ちを強くもちながら、話しています。

ただ、皮膚にあわられたケロイドのような斑点もようが、夏場ということで半そでなどを着ているせいか
めだってきており、先日も学校の友達から、嫌なことをいわれたり、小さな子供から「どうしてこんな風になってるの?」
「触ったら移るの?」などと言われて、本人は無言で我慢していますが、傷つくことも多くあるようです。

でもいつか治るから、そう言い聞かせながら日々過ごしております。
「自分のことを不幸と思っていたら、本当の幸せはやってきません、日々は堪能の心でとおってください。」
以前日記に書かせていただきましたが、ユウが頂いた、お言葉を胸におさめながら、ユウとふれあいながら
ゆっくり育てさせていただこうと思います。

あさってはひさしぶりに病院です、採血や歯医者さんなどいろいろ予定がつまっていますが、
結果は絶対に大丈夫、心からそう信じさせていただいて、強い心で通らせていただきたいと、思います。

ユウの経過ですが、記したとおり皮膚にGVHDの発心のあとにできたケロイドがめだってきているのと
顔などにそばかすが少し増えております。
以前おうかんみちの御世話になっている先生から、ユウの皮膚のことで心配されましたが、
やはりまだ汗などは出にくいようで、その辺のケアのため、なるべくコラーゲンを多く含んだスープや
飲みものを飲ませたりしています。
口の中には慢性GVHDの影響らしく口内炎ができており、どうしてもすっぱい食べ物が苦手のようです
ショコラBBの子供用を飲ませるようになって少し良くなってきましたが、まだまだ大変そうです。

学校などで疲れがでてしまったり、発汗作用がうまく行ってない原因から、身体に熱がこもりやすいのか
暑い日などは辛そうです。
どうしても甘やかしてしまい、学校なども休ませて休ませてしまったりしたせいで、ユウは毎朝ぐずぐずいったり
しては妻に怒られながらがんばって小学校へかよっています。

小学校ではやっと親しくしてもらっているやさしい男の子に、「ばいばい」と大きな声であいさつが出来るように
なったそうで、ゆっくりゆっくり亀さんのように成長しながらがんばって、今日も元気にすごしています。

2007年7月17日

今日は移植後一年ということで、マルクの検査がありました。お蔭様で、顕微鏡レベルで悪い細胞は見つかりませんでした。遺伝子レベルでの結果は少し先になりますが絶対に大丈夫、そう心から信じて過ごしたいと思います。また髄液の検査結果も悪いものは見えず、以前から見られた得体の知れない細胞の数も前回の7個から2個くらいに減少していたそうです。お蔭様で一年無事に乗り越えさせていただけたことを、心から感謝したいと思います。本当に皆さんありがとうございます。

昨日は弟のサッカーの試合ということで一緒にグランドに行きましたが、芝生の上でうれしそうに走りまわっているユウを見て、本当にありがたいなーと感じました。
また、不安になるたびに神前の前で静かに心済ませておりましたが、子供は決して自分の私物でなく、神様から預けられ大切な未来への絆であること、その預かり物を大切に世の中に役に立つよう育てること、大切なことはそこにあるのでは、そう教えていただいた気がいたしました。

以前の書き込みを読み返しえいて感じたのですが、病気の知らせを聞いて先生から輸血のお話をされたとき、悪い病気が入ってきてしまうのではと、そんな不安を覚えてしまいましたが、改めて今振り返ると何度も頂いた輸血の血液すべて、ドナーさんから頂いた骨髄同様、暖かい見ず知らずの方々からの愛情だったんだ、そんなことを思わせていただきました。にもかかわらず、輸血を受けながら、悪い血がユウの身体に入ってこないように、などと祈ることは、どれだけ善意をもって血を分けてくださった方に対して感謝できていないことであったか、反省しております。
ユウの寝顔を見ていて本当にたくさんのことを、この子は身をもって教えてくれているんだと、気が付かせて頂いております。
輸血をしてくださった方、また他のたくさんの方々のおかげで、私たち家族は一つ屋根の下で無事楽しく笑顔で過ごさせていただいている。忘れてはいけないことであると、改めて痛感しております。

2007年10月4日

今日採血検査のため、病院にいきましたが、お蔭様で検査結果は問題なしということでした。
ほっと一安心させていただきながら、長いあいだ書き込みが出来なかったこの日記を、書いています。
おとといはユウの小学校で運動会があり、本当に元気に踊ったり、またかけっこでは、残念ながら
前の子達にはるかに遅れて、びりっけつでゴールしましたが、全力で40メートルを走りきってくれました。
本人は一着でゴールする気構え満々だったため、結果にがっくりしていましたが、
こうして運動会に参加できる喜びに、私も妻も一緒に行った私の母も心から、感謝の心でいっぱいでした。

学校生活でもとてもやさしいお友達も出来たらしく、日にあったってはいけないユウのことを
ハンカチでかばってくれた子の話を、妻から聞かされたときは、感激でいっぱいになりました。
一学期は学校に行きたくなくて、毎朝ぐずっていたユウですが、今ではだいぶ学校に慣れてくれて
毎朝泣かないで元気に登校しています。

ゆっくりですが、しっかりと入院中の遅れを取り戻しながら成長していっています。
本当にありがたいことと、感謝させていただいております。

話は少し前になりますが、ピーターパン子供基金(キッズファースト)さんに、ミュージカルピーターパンに
招待していただき、ユウを含めた私たち家族と入院中御世話になった義姉家族もいっしょに、出かけてきました。
せっかくなので、ユウが入院中同室で今は元気に退院して過ごしている子のご家族も、さそって
現地で待ち合わせしました。

とっても可愛い女の子で、入院中はユウと同じで髪の毛がすべて抜け落ちていたのですが、お会いしたときは
可愛いショートカットになっており、ミュージカルも楽しそうにお母さんと見ていました。
観劇が終わり別れぎわに、「来年も招待してもらえるよう、キッズファーストさんにお願いしてみるから」
「来年もまた一緒に見ようね。」
そういってその子の頭をなでさせていただきながら、心の中で“神様どうかこの子のことを、お守りください”
そう祈らせていただきながら、健康な方にとっては「来年も一緒に、、、」という言葉は軽い言葉かもしれませんが
ユウをはじめ小児癌や難病と闘う子供たちにとって、その言葉は本当に重い大切な意味を成す言葉なんだと
気が付かせて、いただくことが出来ました。

その日の帰り道から、頭の中で他にも沢山ある素晴らしいミュージカルを、難病と闘っている子供たちに
見せてあげることは出来ないか、そしてその子供たちが、来年も、またその次の年も見たいという希望をもって
もらえるそんな企画ができないか、考えておりました。

いつかそんな企画をできるよう、これから進めていこうとおもっています。


最近のユウは髪の毛もすっかり伸びて女の子らしくなりました。
とってもやさしいこにどんどん成長しており、ここ数日私のことをすごく気遣うようになりました。
「パパのことはいいんだよ」そういっても「いいのいいの」といろんなことをしてくれます。
数日前、御風呂の中でユウと息子が、
「人はどうして生きているの?」という難しい質問をぶつけてきました。
以前、いとこの結婚式で神父さんが話してくださった言葉を思い出し、
「人はどうして生きているかは、パパにはは分からないけど、パパは君たちを守るために生きているんだよ。」
そう話したところ、逆にユウが
「ユウはパパを守るために生きる」
大きな声でそんなことを言い出しびっくりしました。
「パパは大丈夫だから、ユウはパパの心配なんてしなくていいんだよ、」
そう言ったのですが
「やだ、パパを守る。」
そんな面白い会話をさせていただきました。

みんなとってもよい子に成長させていただいておりますが、その芽がもっともっとよい方向に伸びてくれるよう
私自身しっかり生きて、その背中を見せなければと自分自身反省させられています。

ユウは今日も元気いっぱいです。




2007年11月20日

11月16日、ユウのマルク検査がありました、
フィッシュ(遺伝子レベルの結果)はまだですが、先生のお話では問題はなさそうということで
ほっとしています。
マルクや血液検査の前になると必ず気になることなどがあり、毎回私たち夫婦の行いを反省させていただいて
おります。

マルクの数日前、夫婦で些細なことでいがみ合うようなことがあり、そんなときユウが見せられた夢は
へびに襲われそうになる夢だったそうです。
妻も私もそのことを聞かされて、ぞっとする思いがありました。

一昨年ユウが再発の知らせを受ける少し前、ワニに食べられそうになる夢を見たと、話していたのが
頭から離れず、一生懸命、神様にお祈りいたしました。
ただ、同時に息子が見た夢が、
八百屋さんに大きな蜂がいて、そのあと旅行にいったとき蛇がでたので、息子がはさみで手と足を
切ってしまったらいなくなってくれたそうです、その後家にもどって八百屋さんにいったら、大きな蜂はいなかった。
息子はユウが蛇の夢を見た日に、そんな夢をみたそうです。

旅行にでかけて息子が蛇をやっつけてくれたと聞いて、15日に那須本部にユウの七五三に出かけて
そこでしっかり祈り、御払いしていただくことで、一つの因縁の切らせていただけるのではないかと
そんな気持ちになり、少し気持ちは落ち着かせていただくことが、できました。

15日ですが、おかげさまでみんな元気に那須へお参りに行くことができました。
教会では11日日曜と15日に七五三の行事をしていただいているのですが、15日は平日ということで
みなさん11日に東京出張所で御祓いをしていただく方が多く、はじめはどうするか迷ったのですが
ユウにとっては7歳という節目でもあるし、こうして元気に7歳を迎えさせたお礼に那須本部へお参りさせて
いただこうと、妻と話し合い子供たちを休ませて、家族と母とで那須に行くことに決めさせていただきました。

那須の教会ではさすがに平日という影響で、七五三のお祓いを受けさせていただく子供は、ユウ一人で
たくさんの先生方が、ユウのためにいろいろ準備していただき、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
また、おうかんみちの教主様が、たった一人のためにお祓いのため、おいでになって下さり、母も私たち夫婦も
本当にありがたく心から感謝させていただいておりました。
この場をおかりして、改めて、教主様、教会の皆様に感謝させていただきたいと思います。

本当にありがとうございました。
おかげさまで、その翌日の16日マルクも良い結果を頂くことができ、昨日は学校が終わってから
友人にさそわれて、外で遊んで帰ってこれるくらい元気に過ごさせていただいております。

15日の那須の旅行中のホテルでもご馳走をうれしそうにバクバク食べて、本当に毎日元気に過ごさせて
いただいております。
これからさきも、油断は決してせず、夫婦で隙間を作らず、子供たちの手本になれるような大人として
生かさせて頂こうと考えております。

2008109

先週の10月2日、ユウが二度目の移植をしてから、2年4ヵ月目のマルクの検査がありました。とりあえずフィッシュの遺伝子レベルの結果はまだ出ていませんが、顕微鏡レベルの検査では無事問題は無かったようです、本当にありがたく家族で感謝させていただきました。毎度のことながら、マルクの日が近づくにつれて、とても緊張させられます。大丈夫…、そう心に言い聞かせても、どうしても不安の心がよぎってしまいます。また先月9月21日、分教会の月次祭で、皆さんの前で体験談を勤めさせていただきました。以前よりお世話になっていたO先生より、体験談を勤めさせていただきなさい、そうおっしゃていただき、その旨分教会のほうでお話しした所、21日勤めさせて頂く事にになりました。ユウのことについて、これまでの日記をまとめたものをお話させていただいたのですが、とても緊張しました。
その日の体験談を少し編集させていただいて、こちらでも、紹介したいと思います。

『体験談』 

長女の身上を通じて

本日は私の長女の身上について、お話させていただきたいと思います。

今から4年前、平成1611月、長女が緊急入院することになりました。病名は急性リンパ性白血病という血液の病気でした…、

当時、長女は4歳、それまで病気などしたことの無い健康な子でしたが、ある日、頭が痛いと訴えはじめ、その後、体中に無数のあざが出来、歯ぐき全体から少量の出血もありました。これはおかしいと病院に連れて行ったところ、白血病と診断されたのでした。

はじめにその病名を聞かされた時、ショックで信じられないという思いでいっぱいでした…。どうして、うちの娘が、そう思うと涙が止まらず、一人会社に向かう車の中で泣き崩れることもありました。大祭など那須本部へも家族で運ばせていただいているし、月に一度は多摩墓地にもお参りさせていただいているのに、どうしてこんな重い病気にかからなければならないのか?…振り返ると、私は大きな心得違いをしておりました。

ただ、現代の医学で、小児白血病の7割の子は一年間の抗がん剤治療で治ることを医師より聞かされ、少しだけほっとさせられたのですが、とにかく親神様に手をあわせることで、長女を身上から救っていただこう、私は自宅の神前と、集会所を開かせていただいている母のもとへ通い、親神様に祈らせて頂いておりました。

そのころ、母から分教会や東京出張所へ足を運ばせていただいて、お伺いを立てていただきなさい、そう言われておりましたが、当時の私は人が沢山集まる教会よりも多摩墓地で静かに祈らせて頂く方がいいからと、母の忠告をまったく聞き入れませんでした。

今、振り返ると、私は生まれてすぐに甘露水を頂き、その後、多摩墓地に足を運び続けているし、本部にも時々お参りに出かけているから、絶対に大丈夫なんだ、そんな高慢な心を持っておりました。

ところが、そんな心では長女は救っては頂けない、そう教えられるように数日後医師から辛い知らせを宣告されてしまいました。それは長女の白血病のタイプが、染色体に異常をきたしてしまっている白血病の中で最も治りにくいタイプであったという知らせでした。

このタイプの場合、通常の治療では、治ってもほとんどが再発してしまうという事で、治癒を目指すためには、骨髄移植を受けなければならない、というお話でした。

骨髄移植という治療がどういうものか、恥ずかしながらそれまで私はまったく知らず。

医師から治療の中身をはじめて伺ったとき、私も妻も背筋が凍る思いにさせられました。

その内容を簡単に説明いたしますと、まず娘の体に大量療法といって、すごい量の抗がん剤を点滴と、脊髄の注射から流し入れ、更に放射線を全身に三日間あてることによって、骨の中にある血液を作るための組織を、自分で血液を作れない状態まで破壊してしまい、いったん無の状態までしたあと、ドナーさんから頂いた骨髄を点滴で血管から流しいれるということです。

その後、点滴から移植した新しい骨髄が無事に体内で増えてくれれば生着といって移植は成功なのですが、逆に体内からはじき返されて増えることが出来ないと生着不全といって移植は失敗、血液をすでに作れない体にとって命とりになるということでした。

また骨髄が無事増えてくれても同時に拒絶反応もはじまり、それがひど過ぎて命を落とされる方もたくさんいるということでした。

その話を聞かされた後、病室で娘の姿を見たとき、私も妻も涙を抑えるのに必死でした。

まだ4歳の長女も私たちが別室で医師より説明を受けている間、そうとう不安だったようでした、それでも心配な様子を私たちに見せまいと、笑顔で座っている娘を見たとき、愛おしくてたまらず、私は娘を抱きしめて、「こんなに思いやりのある優しい子なんです、親神様、どうかこの子をお救い下さい…」そう真剣に祈らせていただきました。

その日をきっかけに私は、母に言われる通り、東京出張所へ足を運ばせていただく事になりました。最初に母と運ばせて頂いた時は、用木成人祭の日でした、その日久しぶりに教主様のお姿を拝見したとき、涙が止まらずに出てしまいました。離れた場所にいながら、床の間で静かのに名号を唱えていらっしゃた教主様のおひざの上にすがって、涙を流している、私はそんな不思議な気持ちになりながら、名号を唱えておりました。

同時に、自分勝手な高慢な心得違いから、教会から遠く離れていた自分に深く反省させられました。

その当日、わざわざ遠い病院まで、娘を心配して母が親しくさせていただいている先生がお見舞いにいらして下さいました。

そこで、先生より、夫婦で潤いの心を持ちなさい、やさしくそうお教え頂きました。

それから数日後、私と妻は、娘を母に任せて、東京出張所へ扇のお伺いをして頂くために足を運ばせて頂きました。お伺いの間では、担当して下さった先生を通して、はじめに親神様から、心の持ちようなど、やさしく御教えをいただきました。

すべて通らねばならぬ道、暖かくおさとしいただき、そののち、娘の病の根源、私と妻の前世因縁を扇のお伺いによって、お見せいただきました。

前世、私と妻は共に夫婦で沢山の人をつかって仕事をしていましたが、心が冷たく我が子のみ溺愛していたそうでした。疫病がはやり、たくさんの子供達が命を落としていく中、病気をして働けなくなり、私ども夫婦に助けを求めても、すがってくる方々を心無く突き放し、追い払う為に人までやとっていたそうでした、結果その方たちの子供達は、なすすべもなく命を落としていかれたそうです。

こうして自分も子供の命の危険に直面して、初めてその方たちの気持ちがわかり、心から反省し妻と共に真剣にお詫びしました。その後、先生から7日ずつ三ヶ月間しっかりお詫びするよう御教えいただき、やることは、すべてやって、後は親神様にお任せしなさい、そう御教えいただきました。

思い返すと前世のみならず、今世も心汚して、冷血に生きている所があり、反省する事ばかり。前世因縁を深くお詫びして、今世は決して心汚さず、生きていこうと妻とともども深く反省しながらその日は病院へ戻りました。

またリンパ性白血病という病の元は、冷たい心、潤いと優しさを忘れることなく、暖かい心で日々通るよう、お教え頂きました。それから三ヶ月、私と妻はともに前世の罪をお詫びさせていただきながら、同時に娘の骨髄移植の準備など進めさせていただいておりました。

当初の検査結果では、私の骨髄を使えるということだったので、私自身毎日、実家の神前で胸すましをさせていただいておりました。娘にもパパが中に入って行って病気をやっつけてあげるからね、そう毎日話しておりました。

所がある日、私の血液から、B型肝炎の抗体が見つかったという悪い知らせを受けてしまいました。見つかったといっても、遠い昔にかかった形跡があり、その闘った後があるということでした。

現在発病する可能性は少ないくらいの抗体らしいのですが、移植中の娘にとっては一歩間違えると命取りになるらしく、ドナーとしてはふさわしくないということで、急遽骨髄バンクを通じてドナーさんを探すことになってしまいました。

振り返るとその時ほど、愕然としたことはありませんでした。小さな希望の光が見えてもすぐにその光は断ち切られ、暗闇に家族で引き摺り下ろされる、そんな心になっておりました。
その時妻から、「自分の骨髄で治してあげる、その考え自体が高慢な心だったのかも、」そう諭され、その時から、もうあがくのはやめて、やるべきことをやった後、親神様の思惑通りの流れにお任せしてしまおう、そう思わせていただきました。

その後、教えられた三ヶ月間の前世の懺悔を終え、再び出張所に足を運ばせていただきました、

そこで親神様より、「道はつけてあるから、案ずることなく、そなた達は潤いの心を忘れることなく、しっかり心低く通るよう」そうおさとしを頂くことが出来ました。

当時の私たちにとって、その親神様の御言葉がどれだけありがたく、勇気づけられたお言葉か、本当に奈落の底にいる私たちにとって、ありがたいお言葉でした。

そのお言葉をいただいた同じ日に、病院の先生より、ドナーさんが決まったという嬉しい知らせも受けました。私は、親神様のご守護を頂き、これで救われる、そう思わせていただきました。

その後、本当に不思議なくらい順調に移植の日を向かえることが出来ました。移植後も医師から、「私が今まで経験してきた骨髄移植でも三本の指に入るくらい、順調な移植です、本当に不思議なくらい順調です」毎日のようにそう話していただき、

あー、親神様が道はつけてある、そうおっしゃってくださっていたけれど、まさにその通りだ…」妻とともに感動の毎日をすごしておりました。

それから数ヶ月後、178月、娘は退院を迎えることが出来ました。

退院の日、医師からバンクのドナーさん、もしかしたら身内ではないかというくらい拒絶反応が少なかったと教えられました。あらためて、親神様のご守護のすごさを思い知らされました。

しかし、のど元過ぎれば熱さ忘れる、娘が退院したのち数ヶ月で私達夫婦は親神様からあれだけ言われていた、潤いの心、感謝の心を忘れてしまいました。

私も些細なことに腹を立てて子供に怒鳴り散らしてしまったり、妻も部屋の中で大声で走り回る子供達にいら立ち、腹立ちを抑えられなくなってしまったり、入院中家族がバラバラになっていたころ、夢にまで見た、一つ屋根の下で共に暮らせるというありがたさを忘れてしまっておりました。

その結果、181月、娘の白血病は再発、その地獄のような知らせを受けた日のことを今でも忘れられません。

娘に、「また入院する事になってしまったんだよ、」そう話したところ、娘は大声で泣き崩れてしまいました。私も妻も辛くて涙が止まりませんでした。

また、この子にあんな辛い治療を受けさせなければならない、やっと這い上がらせていただいたのに、またあの地獄のような世界に連れ戻されてしまう…私は娘を抱きながら、辛くてたまりませんでした。

最初は大声で泣き崩れていた娘ですが、その後静かに弟達とテレビを見ていました。

でも、時折私達に気づかれないように遠くを見ては涙を拭いていました。私達夫婦を気遣って辛いのを我慢している、そんな、思いやりのある当時5歳の娘に、私は心から申し訳ない気持ちでした。

また、娘は心配している私たちに、「また、帰ってくるから、帰ってきたらいっしょにあそぼ…」そんな手紙を一生懸命書いて、こっそり神前にのせていました。私は手紙を見たとき、涙がとまらなくなってしまいました。

正直その時は、「道はつけてある」そうおっしゃって下さった、親神様のことも信頼できなくなっておりました。

生まれてからずっと手を合わせ続けて来た、親神様は何だったんだろう?本当にいらっしゃるんだろうか?そんな失礼なことも思ってしまいました。

再発の知らせを聞いて、私は出張所で担当してくださっていた先生のお宅にも失礼ながら連絡をさせていただきました。先生もその事を聞いて驚かれていましたが、さっそく親神様にお伺いを立ててくださいました。

そのお言葉は、「感謝が足りない、」その一言でした。また詳しくは出張所でお話し下さるということでしたが、翌日再入院した病室で、血圧が子供としては危険な170以上に跳ね上がって高熱で眠っている娘の横でそのお言葉を伺いました。同時にハンマーで頭をたたかれた思いでした。

本当に感謝していたら、あんなふうに感情の鬼になってこの子に怒ったり、日常で他の方に見せた潤いなどまったくない行い、またこうして救って頂きながら、親神様に対する誠意のなさ、そんな行いは出来なかった。私は親のばかな行動のおかげで、せっかく親神様の奇跡のお力でお救い頂いた娘と、お別れになってしまうかもしれない、そう思うと悲しくて、病室で何度も親神様にお詫びをさせていただきました

そして出来ることならば、今一度チャンスを与えていただきたい、そんなことも必死にお祈りしていました。

その時、少し不思議なことがありました、出直りされた(亡くなられた) 川口西分教会の向山むら先生が、私と娘のおそばに来てくださって、私のとなりのベットの脇に座ってやさしく暖かい息を娘にかけてくださっている、そんな気がいたしました。

私は嬉しくて、「先生、ありがとうございます」そう言いながら、一人涙をポロポロこぼしておりました。

それからだんだん娘の血圧が下がりだし、熱も下がってくれました。私はもう一度チャンスをいただけるかも知れない、心でそう思わせていただき、親神様そしてむら先生に感謝をさせていただきました。

その数日後、出張所へお伺いのため運ばせていた時、先生より、なぜ分教会へ足を運んでいなかったのですか?そうお叱りのお言葉をいただいてしまいました。

「道の流れを切ってはいけません、あなたは分教会という道からつながっているのですよ、」私はその時、恥ずかしながら、今までにあれだけの大きなご守護を受けていながら、分教会の会長さんはじめみなさんに何一つ報告をしていなかったことに気がつきました。そして申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

その後、出張所でこれまでお伺いしてくださっていた、先生を通じて、分教会の会長にお話をしてくださり、私は振り返ると妻の甘露水の別お席以来という、数年ぶりに古里の川口西分教会へ足を運ばせて頂きました。

そこで会長の奥様に、台に立っていただき、私の持っている、刃物のような口、そして心についてお悟しをいただきました。

言葉を言の刃ものにしてはいけない、そうお教えいただいたとき、自分自身思い当たることだらけ、深く反省させていただくことができました。

また、私のような者のために、ここで、娘のことを心配してくださった沢山の方々に、三日間にわたって願い勤めもしていただくことが出来ました、そのときは本当に心からありがたく、皆様の暖かく強い心を背中に感じて、うれしくて、うれしくて、涙が止まりませんでした。

改めまして、その折は本当にありがとうございました。

その後、娘は、親神様のご守護で別の病院に転院となり、今度は私の骨髄を使って一昨年、平成186月に再移植を受けさせていただきました

その途中いろいろなこともありましたが、親神様とそして暖かい皆様のお力をうけて、鮮やかなご守護を賜ることができました。

以前の移植に比べると、少し拒絶反応も強かったのですが、お蔭様で無事に乗り越え、今ではこうして娘も、元気に分教会の月次祭にも、ともに足を運ばせていただくことが出来ております。

本当にありがたく、親神様、そして皆様に対し感謝でいっぱいです。

この度の娘の身上を通じて、本当に多くのことを学ばせていただきました。もう少し私達夫婦がこんなに頑固でなく柔軟な頭をもっていたら、娘はこんな辛い思いをしなくてすんだのに、振り返ると申し訳なく反省させられます。

また、再発をきっかけに、「自分は親神様に守られているから特別なんだ…」などという高慢でおろかな心を持っていた自分に気づかせていただきました。

決して特別ではなく、「自分は深い因縁がいっぱいあるから、こうして親神様の用木として働かせていただかなければいけない、そして人の数倍頭を低く通らなければいけない」そんなことに心から気づかせていただきました。

二度目の移植から二年、まだまだ油断は大敵と考え、これからもしっかり親神様のお教えを学び修めさせていただきながら、通らせて頂きたいと思いますので、会長さんはじめ諸先生方、皆様、これからも、ご指導のほどよろしくお願いいたします。長くなってしまいましたが、これで私の体験談を終わらせていただきます。

本当にありがとうございました。』

当日この内容でお話させていただきました。体験談を作りながら何度泣いたことか…
改めて忘れてはいけない大切な事を思い出させていただくことができました。

また、振り返ると本当に不思議な事ばかりあり、あらためて感動させられました。また数日前もちょっとした事件がありました。それは、なぜか私がイライラしてしまい、些細なことで末娘を強くしかりまくった時でした、その日の私はなぜかとてもイライラしていて暴力的で、末娘にげんこつをしたり怒鳴ったりひどい状態でした。
子供たちが寝静まって一人神前で反省しておりましたが、めずらしく寝ていたユウが大泣きしながら起きて、私のもとへ走ってきました。
教会のO先生から、ユウちゃんの行動には注意するよう前々から伝えられており、事あるごとにこの子は不思議なことを言うことがありますが、その日はいつも以上に何かに脅えて泣き続けていました。私は改めて真剣に親神様にお詫びをさせて頂きました。

夫婦喧嘩をした日は必ず、ユウは寝室の外から怖い人が見ていると、急に起きて泣き出したりしたこともありました。そのたびに、O先生から、夫婦で隙間をつくってはいけない、そう注意されましたが、お陰様で夫婦は喧嘩をしてもすぐに仲直りできており、円満にすごさせていただいております。
また、体験談を終えた日、分教会の先生が、「ユウちゃんがあなたたち夫婦を救ってくれたのよ…感謝しなさい…」そうお話くださいました。わたしもそれを聞いた時、本当にそのとおりだと反省させられました。
すごく長くなってしまったので、今日はこの辺で失礼します^^

ps体験談を勤めさせていただいた後、那須へ母も一緒に旅行へ行きました。サンバレーの温泉プールで、ユウは幸せそうに泳いで遊んでしました。

また、先日は運動会もあり、結果はビリでしたが50メートル最後までしっかり走ってくれました、本当にありがたく、心から親神様、医師の先生方、教会の先生はじめ、ユウと私たちを支え励まして下さった皆さんに、感謝させていただきたいと思います。

本当にありがとうございます。^^、今日もユウは元気です

2009年6月27日
おかげ様で、昨日6月26日、こども医療センターで移植後三年目の最後のマルク(骨髄検査)がありました。顕微鏡検査の結果は問題はなく、先生のお話では遺伝子レベルのフィッシュ検査(一週間後に結果)もおそらく問題はないでしょうとおっしゃって頂く事ができました。※後日フィッシュも無事問題はありませんでした。
そして良く頑張ってきましたねというやさしいお言葉も頂いたそうです。

いつもの事ながらマルクの日は落ち着かず、結果を聞いてほっとしたところです。また、ユウも本当に元気に笑ってすごしています。
最近ちょっと生意気になって、すねたり怒ったりすることも多々ありますが、それも成長の証、ありがたく受け取らせていただいております。

今回結果を聞いた時、本当にいろいろなことが思い出されました。初めて白血病と言われ、病室のベッドで不安そうにしていた、4歳のときのユウ、また髪の毛がごっそりと抜け始めた姿を見て、すごく悲しい気持ちになったこと、正月一緒に病院で寝ていた時、ユウが眠るたびに「暗い所で一人で寂しくしている夢を見た」そう言ってしくしく泣いていた時の事、また東大で最初の移植を迎える時、一人取り残されるのが悲しくて、泣きじゃくっていたユウ…、ドナーさんから頂いた真っ赤な骨髄にありがたくて、手を合わせたときの事、また、恐ろしい再発の知らせを聞かされて、ひっそりと泣いていたユウの横顔、二度目の移植を頑張って辛い口内炎に耐えたり、深夜に苦い薬を一生懸命飲んでいたユウ、そしてこども医療センターの廊下を、GVHDでかゆい背中をシャツでぼりぼりかきながらも、にこにこしながら歩いていたユウ…無事に退院して、幼稚園に通い、小さな体で足を引きずりながら一生懸命走って友達についていこうと頑張っていたユウ、他の子供からぶつぶつと言われて、悲しそうに泣いていたユウ。
本当にたくさん、たくさんの思い出がよみがえってきました…

でも、こうして5年、長かったようで短かったこの年月、苦しいこともたくさんありましたが、ユウをはじめ、弟妹たちも本当に逞しく、そしてやさしい子へと成長させていただくことができました。
そして、たくさんの身上(病気)と闘ってきた可愛い天使たち、悔しいけれど天国へと旅立ってしまった小さな子どもたち、本当に沢山の子供たちと、その親後さんとお会いすることもできました。本当にいろいろありましたが、どうにか無事、こうして家族でそろってひとつ屋根の下で過ごさせていただくことができています。本当に、本当にありがたいです。 

また、昨年、分教会で体験談を勤めさせていただきましたが、このたび8月22日、那須本部で行われる夏季研修会での体験談も務めさえていただく事が決まりました。

以前、O先生から、那須本部の夏季研修で、しっかり体験談を勤めさせていただく事で、ユウちゃんの病気に終止符を打たせていただけるから、そうお話をいただき、昨年は時期尚早ということで、かないませんでしたが、お陰様で節目といわれていた三年目の検査も終え、ぶじに今年勤めさせていただけます。
本当にありがたく、親神様に感謝させていただきながら、当日はしっかりと勤めさせていただきたいと思っています。

また、当日までに今まで私がつづってきたこの記録を、本として読んでいただけるよう、現在製本作業をコツコツと妻とともにさせていただいております。
製本作業のため、以前私が書いた日記を読み返す作業をしているのですが、本当にその当時の記憶や感情が思い出され、時々涙を流したりしています。また、そのたびに今の自分を反省して、見つめ直させていただいております。これから一か月半ですが、がんばって進めて行こうと思います。

ここであらためて、ユウの闘病期間、お世話になった皆様に感謝させていただきたいとおもっています。本当に、本当に、ありがとうございました。

お陰様でユウはとても元気です…^^







2009.8.4
4歳で白血病を発症した長女ユウ、二度の骨髄移植を乗り越え、お蔭様で移植後三年目の検査結果も無事通らせていただけました。

移植の影響から、現在皮膚や爪に多少問題はありますが、元気一杯に笑って走って、ごはんも美味しくいただけて、移植前のいろいろな心配を思えば、それだけでも最高にありがたいことと、妻と共に感謝させていただいております。

本人も大きくなるに連れて、やはり自分の皮膚のことが気になるようになっており、先日、ユウの希望で探していた子供のミュージカル劇団のホームページを一緒に見ていた所、自分の肌を指差しながら、「こんな、ぶつぶつがあっても、入れてもらえるのかな?…」不安そうにそう問いかけて来ました。

「大丈夫だよ、やさしい子も沢山いると思うし、自分から、病気をして今はこんなだけれど、いつか治るから…そう言ってあげなさい…」祐奈にそうお話させて頂きました。

アンデルセンの物語で「みにくいアヒルの子」というお話がありますが、この子を見ていて、あの物語の奥の深さを改めて知った感じです。

ユウもあの物語と同じ、いつか成長して美しい白鳥に変身する日がやってくる。今はひたすらそう信じて、神様の教え、潤いと優しさの心を忘れずに、妻と共に過ごして行こうと思います。

また、この日記の編集中、「いつか、私も前の先生方のように、甘露台着とう黒い袴を着させていただいて…」という内容がありましたが、お蔭様で現在、分教会の会長さんのお許しを頂き、その甘露台着を身につけて、川口西分教会の月次祭の折、御立ち勤めという神様への舞をさせて頂いております。

まだまだ、慣れないため、着る時も会長さん始め諸先生方に御迷惑をおかけしたり、また立ち上がる際、裾を踏んで転びそうに成ったり、お勤め中も回転でよろけたりしていますが、以前から書かせていただいている、沢山の身上と戦う子供達の為に、力を頂けたら…密かにそんなことを願い考えながら、儀式に望ませていただいております。

先日お、いまだ身上に苦しみ闘っている小さなお子さん達に出会った時、心からその子達の事をお守りください、この身上からお救いください…親神様にそう祈りながら、小さなみんなと触れ合わせていただきました…

「もっと、私にこの子達を救える強い力があったら…、」本当に、そう思いました…

ただ、あわててもどうにもならない、私なりにこれから先、その思いを忘れずに日々を過ごしていこうと思います。

また、編集のため日記を改めて読ませて頂きましたが、本当にいろいろなことが書かれていて、こんな事を紹介してしまって良いのだろうか?発表しても良いのだろうか?

いろいろ考えさせられました…。

ただ、日記の冒頭にありますが、信仰のことなども切り離すこと無く、すべて書かせて頂きたい、そういう思いのもと書き綴らせて頂いておりました。

また、それによってこの本が、いろいろな誤解を受けたくない…、そんな思いから、出版にあたって、すべて私達個人にて編集、製本準備をさせて頂きました。

私達夫婦の願いは、同病と闘っているお子さんの親御さん、またこれか移植やつらい治療に向かおうとしている、不安の心で日々過ごされている方に、小さなユウの頑張りを通じて、元気な心になって頂けたら…、大きな希望の光になってもらえれば…

真剣にそう考えて、勇気を持って我が子の頑張りを発表させていただいております。

決して諦めなければ、いつの日か暗い夜も明け、必ず明るい未来がやってくる…

そう信じて前向きに乗り越えて欲しい、また私達も、これから先、何があっても、どんなことに直面しても、その事を信じて、決して希望の心を忘れずに生きていこうと思います。

病気ではなく、他に多くの苦しい悩みをお持ちの方にとっても、小さなユウの頑張りから元気を取り戻す力を、この本を通じてお送りできたら…心からそう願っております。

最後に、この場をお借りして、お世話になった、杏林大学病院、東大病院の先生方、看護師さん、現在も検診や治療でお世話になっている、神奈川県立こども医療センターの先生方、スタッフの皆さん、ユウのことを心配してくださった友人の皆さん、また、おうかんみち川口西分教会の会長さんはじめ、先生方、いつも優しく見守ってくださっている教会の皆さん、ユウのことを気にかけてブログを覗きに入らしてくださっているRさん、Tさん、それに皆さん、そして、出張所でお会いさせて頂いてから今まで、ユウの事を心配して祈って下さり、いろいろと神様のお言葉やアドバイスを下さった、O先生、奥様…、

それに沢山のみなさん、本当にありがとうございました。


2011年11月10日

前回書き込んでから、二年近く音沙汰なしになってしまいました。突然ブログが止まってしまい気をもまれていた方もいたのではないかと、現在反省しています。

ユウですが、毎日元気に学校へ通っています。おかげさまで現在5年生になりました。

毎晩家族が川の字になって寝ていますが、ユウは私の隣で嬉しそうに眠っています。そんな娘を眺められるのが嬉しくてたまりません。あの病気と闘っていた時のことが嘘のようです。本当に元気にすごしており、現在こどもミュージカルに入って毎週大きな声で歌をうたっています。

今年の12月24日はミュージカルの「夢コン」という全国のこどもミュージカルから選ばれた上手な子たちによる歌の二次予選がありますが、おかげさまで今年はユウも選んでいただき、大きな舞台で歌うことになりました。みんなすごく上手な子ばかりなので、予選通過はまだまだ難しいと思いますが、元気にのびのびと心をこめて歌ってもらえればと願っています。

ここでお知らせです、もっと早く書きたかったのですが、こちらのブログのパスワードを忘れてしまいなかなか開けませんでしたが、どうにか手帳を発見してこうして書き込むことができました。

実はお知らせというのは、今年二月に募集された文芸社の闘病奮闘記というものに、ユウのお話を短くまとめたものを応募したとこと、入選に選ばれた38作品の中で、ユウのお話が大賞をいただいてしまいました。

11月1日に文芸社から発売されたのですが、たくさんの方の闘病記録が書かれており、どれもこれもすごい体験ばかり、それでもみなさん前向きですごく良い本です。

最初に「祐ちゃんは元気です」というタイトルで載せていただいておりますので、よろしければ読んでみてください。

二度目の移植から5年…。杏林でph1陽性と言われ、担当の先生の経験では残念ながら助かった子はいないと言われ、骨髄移植を受け、無事退院でき油断していると再発の知らせ。もう何度も何度もダメだと思ったりすることもあった闘病生活でしたが、おかげさまでユウは二度目の移植から5年、再発することもなく元気にはしゃぎまわっています。

二度の移植の影響から成長はほかの子に比べてゆっくりなのと、免疫のせいか肌にすこしぶうぶつがあり、本人もすごく気にして引っ込み思案になっていましたが、昨日は友だちの家で一緒に宿題をやったんだ。嬉しそうに話していました。

ちょっとず、ちょっとずつ、カメさんのようでも、ユウは成長しています。

あらためてお世話になったみなさんに心から感謝させていただいております。


2011年11月20日

今日は学習発表会という昔でいう学芸会がありました。ゆうも楽器の演奏に頑張って出演しました。GVHDによる皮膚のせいか自分に自信がもてず、カメさんのように引っ込み思案のゆうにもやっとお友達ができて、時々一緒に学校から帰ったことを喜んでいます。

まだまだ一歩一歩亀さんのようにゆっくりですが、自分なりに頑張っています。

ゆうが入院中、私はいろいろなサイトを検察しては探しました。そしてph1陽性の小児リンパ腺白血病で元気にされているお子さんの情報が知りたく、あちこちとサイト内を探し回っていました。そんな中、一人の男の子が元気に過ごしているサイトを見つけ、その男の子が運動をしたり遊んだりしている写真に本当に勇気をもらうことができました。

再発後は再移植で元気にしている子を探しました。すこしでも希望を持ちたい、そんな一心でしたが、なかなか良いサイトに出会うことはできませんでした。そんな中ただ、医師の言葉と『道はつけてある』という教会でいただいた言葉のみを心の支えにゆうのことを見守っていました。

そして二度目の移植を無事乗り越えたゆうはGVHDのせいで背中など全身が相当かゆかったようで毎日シャツで背中などかきながら、神奈川県立こども医療センターのクリーン病棟の廊下をにこにこ笑いながら歩いていました。そんな彼女のことを、これから移植を受ける親御さんは希望の目標として見つめてくれていました。

そんな二度目の移植から5年半、たとへカメさんのようにゆっくりゆっくりでも、ゆうは健康に元気に過ごしています。

このサイトをご覧になっている現在病気と闘っている方やその親御さんへ、もっともっと大変な病気と向かい合っている方もたくさんいると思いますが、決して希望をすてず頑張ってください。

今は本当に苦しい道中で、真っ暗闇の中にいても、「明けない夜はない…かならず冬の後には暖かい春がやてくる」そう信じて踏ん張ってください。

実は長女のゆうが白血病になる数年前、私自身も「後縦靭帯骨化症」という首の病気になりました。現在も右手と右足は思うように動かず、キーボードも右手は人差し指と中指だけでタイピングしています。イラストなども昔のように思った方向に腕が動いてくれなかったり、腹のたつことなどもたくさんあります。でも、ゆうが病気になって小さな子供たちが生きるために頑張っている姿を目の当たりにしたとき、自分の病気など全然大したことはない、そう思いました。

たしかに右手と右足の自由は奪われて、現在走ることはできないからだですが、その代わりに得たものは計り知れません。

現在闘病されている方も、この試練を乗り越えた先には、もっと大きな喜びが待っている。そう信じていまはひたすら踏ん張ってください。

ちょっと脱線してしまいましたが、今日は以前私とおなじ病気で入院された方へお贈りした私が描いたイラストをハリコします。このイラストも病気になった後、まともに動かなくなった右手で描きました。

タイトルは「希望の光」です。

「たとえ、どんなに暗く切ない夜でも、明けない夜はない…いつか必ず明るい朝がやってくるし、暖かい春が訪れる…」

どんなときだって、そう信じて頑張っていれば、私は神様が守って下さり、明るい春をプレゼントしてくださる。そう思ってすごしています。

ちょっと、偉そうなことを書いちゃってすんません


2013年5月

最近すっかり更新していませんでしたが、ゆうは今年から中学校へかよっています。

数年前から頑張っている「こどもミュージカルでは、お蔭様で大きな役をいただき、毎日歌って踊って楽しくすごしています。

中学校もちょっとずづ慣れてきてくれたみたいで、実はクラスの挨拶の時、

「わたしは小さな時、白血病になって、それで肌の色が抜けてしまっているところがある」みんなの前に勇気を振りしぼって言ったそうです。

妻からその話を聞いたとき、思わず涙が出ました。同時に、これでこの子は友達から守ってもらえるのではと思いました

それと、この場をお借りしてお知らせです

実は以前文芸社の「闘病奮闘記」で掲載していただいた、ゆうのお話をこのたび絵本でだすことになりました。

絵本用のイラストとお話を3月から私がつくっておりましたが、お蔭様で今日、入稿することができました。

発売は9月になりますが、近づいてきましたらまたお知らせします。

現在頑張って病気と戦っているお子さんやご家族に元気になっていただければと、できる限り明るくイラストを描かせていただきました^^

完成しましたら小児病棟などへお送りさせていただきますので、ご希望の病院などございましたらコメントなどでお知らせください。


2014年8月

長く更新していなかったこのブログですが、今日はとっても嬉しいお知らせを友人から聞かされ書き込みを再開しようと思いました。

友人の知り合いの方のお嬢さんも実は5年前、ゆうちゃんと同じタイプの白血病で入院されていたそうです。実はその時、このブログが闘病中のささえになってくれたそうなんです。そのお嬢さんも現在元気に高校生になって頑張っていると伺って、すごく嬉しくなりました^^

ただただ、自分の思いばかりはきだしてしまっていたブログだと思っていたのですが、こうしてお役に立てていたことにすごく感動しました。

また、コメントも実はなかなかチェックすることができず、たくさんの方が書き込みをして下さっていました。すごく遅くなってしまいましたが、コメントありがとうございました。

しばらく更新されていませんでしたが、ゆうちゃんも元気です^^

一昨日、検査にもいってきました。採決結果は無事何事もありませんでしたが、やはり放射線治療など二度の移植の負担を考えてこれからは二年に一度は脳と甲状腺などのMRI撮影をされるそうです。

今年の夏は所属する地元のミュージカル劇団で主役に抜擢していただき、本人も一生懸命がんばって親の私が言うのもなんですが素晴らしい演技を披露してくれました。

なかなか積極的になれず劇団でも学校でもポツンとしていることも多かったのですが、最近では少し進歩したのかどちらもお話ができるおともだちが出来たと喜んでいます。

本当に小さなことなのに本人は本当にうれしそうに話してくれます。

それから中学へ入学して間もなく、一人一人自己紹介をすることがあったそうなのですが、そこで自分が小さな時「白血病」だったことをみんなに話したそうです。そのことを伝えるために一生懸命準備して書いていたメモを見たときは思わず涙がでてしまいました。

一年の時は心無いお友達にいじめられたりすることもありましたが、休まず一生懸命通っていました。

二年になったときも実は自己紹介で「白血病」のことをみんなに伝えたそうです。それも今回は移植の原因で肌の色が少しぬけてぶつぶつになっていること、走るのが遅いことなども一生懸命話したそうです。今はとても優しくて厳しい先生が担任になって下さったせいか、虐められることも無くなったそうですが、先日、実は一年の時は本当はお腹がいたいといって学校を休みたいと思う日が何度もあったそうです。いろんな経験をしながら誰よりも強く優しく成長してくれています。

将来プリンやさんをやるために行きたい高校があるらしく、希望を持ちながら頑張っています。

最後に先日ユウチャンの弟が私に一冊の本をプレゼントしてくれました。

「置かれた場所で咲きなさい」って言う本で、書いたかたは渡辺和子さんという素敵な方なです^^私もその本がすっかりお気に入りで、その本の中からこんな言葉を教えられました^^
「なにもできなくていい。ただ笑顔でいよう。」...
笑顔でいると不思議となんでもうまくいって、ほほえまれた相手の人も、自分も心があったかいぽかぽかした気持ちになれるんだって…^^
とってもいい言葉ですね^^…。


また時々近況などアップさせていただきます。




 
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