梅の木通信 本日習った大切な事

私の信仰させていただいている、おうかんみちの先生方から、教わった大切なことなど
書き留めさせていただいております。今まで気がつかなかったことですが、改めて学ばせて
頂くと、奥の深さに感動させていただいております。


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 はじめまして、、、^^

  

2006年10月25日
 昔、学生時代、修養会という、おみちの勉強会に足を運ばせていただいておりました。
ただ、残念ながら当時は居眠りばかりで、全然学ばせていただいたことは、頭に入っておらず
今振り返って反省させられております。””” 
ただ、それから20年以上たってみて、思ったことですが、どんなに学びを収めようとおもっても、
胸にしみこむ時と、そうでないときがあるのだなーと、思わせていただきました。

人は傷ついたり、落ち込んだり本当に深い悩みの淵にいる時が、
真の意味で学びが染み入る時ではないか、そう思わせていただきました。
悩みや苦しみの渦中にいるときは、解からない事ですが、ふっとそこから少しだけ
解放された時、真の意味でのやさしさ、そして生きていくうえでの大切ことなど
まだまだ修行がたりない私ですが、ほんのすこしだけ解からせていただいた気がしています。

また、それと同時にまだまだ収めさせていただかなくてはならない学びについて
こんどはしっかりと見につけさせていただきたいと、思わせていただきました。

これから先、小さなことでも学ばせていただいたことを、こちらに書き記させていただき
後日読み返すことによって、私自身にとって、大切な教えの復習として役立てたら
また、悩みの渦中にいらっしゃるかたにとって、小さな光のお手伝いに役立てたら、
そう心に思いながら、これから少しずつ続けさせていただきたいと思います。

ともに大切な何かを学ばせていただけたらこれから先よろしくおねがいいたします。


 本日習った事
習った事一覧
自由用十則について(06/10) お道を通る人の心得(06/10) いんねんの話(06/10)
 自由用十則について、

 おうかんみちの教会に足を運ばせていただくと、
神前の上に、張り出されている「自由用十則」という10の言葉があります。
行くたびに、その言葉を読ませていただいておりましたが、その深い意味は解からず、
ただただ、ぼーっと眺めておりました。
先日、お世話になっている先生のお宅にお邪魔させていただいたとき、
その言葉の意味について、くわしい中身を書き記されたものを、おかりできましたので
今日はこのことについて、書き込みさせていただきたいと思います。

   
   自由用十則
 
   一つ、うるおいの心を持ちて、

   二つ、しんじつの慈悲で人をみちびくならば

   三つ、神との縁をつなぐ

   四つ、天理、神に従いて、尺一筋に道行けば

   五つ、人は五穀の味とるも、神は心の味をとり

   六つ、如何な話も神が手伝う

   七つ、神格の芽を切りて

   八つ、限りなき宝を与う

   九つ、岐美二尊人体に苦がなくなりて

   十 、生は月日、心勇んで世界極楽


ただ、ばくぜんと読ませていただいておりましたが、なんとなく解かるとことと
解からない所が、ありました。
詳しい説明を読ませていただいて、とても大切なよい教えなのだなーと実感しました。
私自身学びなおす意味もこめさせていただくため、その中身について、
書き記させていただきたいと思います。

一つ、うるおいの心をもちて、
(うるおいと言うは、優しい素直い水心という、丸い心を申します。
道を通る人々には、大切な心得であります。)

二つ、しんじつの慈悲で人をみちびくならば、
(真実というのは、嘘や偽りのない心、慈悲とは、愛情こまやかな暖かい心で、
人をお導きするという。)

三つ、神との縁をつなぐ
(神様の御心にかなって、親神様との御縁がふかくなる。)

四つ、天理、神に従いて、尺ひとすじに道行けば
(天の理法を納めて、尺一筋心で教えに従って、道を通ればという諭し)

五つ、人は五穀の味とるも、天は心の味をとり、
(ひとは、あらゆるものの食物の味をとって楽しむが、神は人の心の味を
おとり下さる。そして善なるよき味を、お喜び下さる。)

六つ、如何な話も、神が手伝う
(人が如何なる事を問うても、心さえ神にもたれる素直さがあれば、何でも神が
人間の口借りて、答えるから何も案じることはない。)

七つ、神格の芽を切りて
(悪しき払った心の中は、澄み切る。それゆえ、神成神が出来て段々と
神格も高まるのであります。)

八つ、限りなき宝を与う
(親神様は神格の高まった成神した用木には、どんな理の自由用自在の
無限の理を与えて下さるという。)

九つ、岐美二尊人体に苦がなくなりて
(岐美二尊は人間人体の産み親神であられるから、その産親神が無限の宝を
頂く事が出来る人々の、人体を特にお守りくださるのであります。)

十 、生は月日、心勇んで世界極楽
(人体に魂があればこそ、現世に生活ができる。その魂の親神は月日大神さまで
あります。人間が人体に苦がなくなることが、月日大神さまの最大な喜びであります。
魂の浄化が人体に苦がなくなるのであり、従って世界の人間が極楽に陽気に
日ぐらしが出来るのであります。それを月日大神様は、お待ちかねであります。
その世界を、甘露台世界と申します。
十天上王神はその平和世界を建設して下さるために、天上界からこの下界に
天降られたのであります。)

以上、おうかんみちの先生で、私が心から尊敬させていただいている先生から、
お借りしたものを、そのまま書き写させていただきました。

あらためて打ち込みしながら、読んで噛み締めてみると、奥深いものがありました。
神様を心の底から信じて寄り添い、心正しく生きること、大切な教えだなーと
しみじみ考えさせていただける、ありがたいお言葉だったと気づかせていただきました^^。
この自由用十則について、以前川口西分教会の先生から教話がありましたが、
その教話の内容は、さらに深く掘り下げて本当に感動させていただきました。
いつか、その内容をお貸しいただけたとき、また紹介させていただきたいと思います。

 お道を通る人の心得(2006/10)

私が生まれる以前より、母はおうかんみちを信仰させていただいておりました。
そのせいか、私も小さな頃から自然に、神様に手をあわせて過ごしてまいりました。
神前にお供えしてある、お酒やお塩など、当たり前のように眺めておりましたが。
その一つ一つに意味があり、またお道を通る人の心得など、恥ずかしながら今まで
全く考えず生きてまいりました。

先日、お世話になっている先生から、頂いた資料の中に、この心得があり
これも大切なことだなと思い、さっそく書き込ませていただくことにしました。

 お道を通る人の心得

寿命は神様のなす業でなく各自の心一つによって、
どのようにもなるということであります。

 お道を通る方は、朝起きたならまず、お水を供えさせていただき
『親神様、今日も1日どのようなことがあっても、心に汚れはいれません。』
と、お誓いし、一日のご守護をお願い申し上げ、
夕べには、1日の感謝をこめて御礼申し上げるのであります。

朝夕のおつとめは、前生よりの悪因縁又は、今世の癖性分を払い、
神一条という「人を助けたら我が身が助かる」という理を修め実行して
極楽世界を建設させていただくという心を親神様に受け取っていただき、
1日1日のご守護をお願いするものであります。

そして、目標(めどう)となる神棚には、御心鏡を元として、御神酒、お水、お塩、お米を
供えさせていただくのであります。

神棚にお供えさせていただくお水などの理由については、

御神鏡

親神様の御心を象徴し、三社三棟(さんしゃみむね)の親神様を目標(めどう)とし、
私達が祈る心、願う心を鏡に映るがごとく、お受け取り下さり、
正直にして誠ならば、ご守護くださることを、諭しております。

また御神鏡の丸い鏡は、常に丸く澄んだ心の理を、現しているのであります。

御神酒

どのような苦労があっても、喜びにかえられる大きな力、
陽気な心の理を現しています。

お水

人間心を洗いきれば、水のように汚れのない、美しい心になることを、諭しております。

お塩

大海原の理を象っており、人の心も塩の如く白くきれいであるようにと、諭します。
塩は私達の食物の味付けに、欠かせないもので、塩加減一つで、おいしく食べることが
できます。
又、水に入れれば、「姿をうしなっても変わらんものは、塩の味」と言われますように
優しい人を(しおらしい)というのであります。

お米

命の接ぎとしてお与え下されており、親の理を感謝して供えさせて頂くのであります。

以上、心得と神棚に供えさせていただいている、お水などの理でしたが
あらためて、一つ一つに意味があったのだな、と関心させていただきました。
御神鏡の鏡が自分自身のまっすぐな心を写しだすためにあったとは、
これはうかつに、御神鏡の前には立てません(汗
ちなみに、私の実家の神棚では、立派な御神鏡がありますが、我が家の小さな
神棚にはありません。
何時の日か、御神鏡もお供えさせて頂きたいと、思いました。



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