梅の木通信
心の話【S先生の日記】


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5 信仰とは

信仰とは、親の心を学び、養い身につけることであります。
ことわざの中に「子を持って知る親の恩」という言葉がございますが、親の恩が分かるのは
自分が始めて親になって分かるのと同様、何事にも相手の悩みや苦しみ、又、痛みは察することは
出来ても、本当の相手の悩み苦しみを知ることは、出来ないのであります。

例えば、目の明いている人の本当のありがたさが分かるのは、途中で見えなくなった人でなくては
分かりません。
これと同様に、親になって見なければ本当の親の恩が分からないのであります。

親と言う字は、立ち木を見る、と書きます様に、親と言うものはいつでもどこでも高いところから
こどもの安否を気遣っているのであります。
これが親の心でありますが、これは人間関係においての親子の関係であります。

信仰で言う親の心とは、、もっと広く大きな心なのであります。つまり神心なのであります。

神の心とは肉親の親子の関係でなく、総ての人間の安否を気遣い見守る心なのであります。
その心を養い一つ一つ実践して身につけて行くことが、信仰であります。

しかし人間は我が身可愛い心を持っておりますので、身上や事情が起こると感謝の心も忘れてしまい
自分の身上、事情の解決にのみ心を使います。そのため人間本来、神によって生かさせて頂いて
いることも忘れ、人はどうでも我が身だけはという心になりがちであります。

それでは信仰をもったとは言えないのであります。
信仰をもち親の心が分かれば分かるほど、心が低くなり、人様に対してはやさしく、
親切な人にならなければならない筈であります。

信仰は頭でするものでなく、親(神)の心を自分自身の心で聞いて、その思いを身体で
体得していくのが信仰であります。