梅の木通信
心の話【S先生の日記】


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4 悟りについて

 おみちの中に悟りという言葉があります。そして良く使われます。
「そのくらいの事くらい悟りなさい」「そんな事が悟れないのですか?」等と使われ
よく耳にいたします。
しかし悟りという言葉の本当の意味が分かっているのでしょうか、

悟りという言葉の意味は、神の心(水心、低い心)と人間心という高い心の差を取ること、
これが悟りであります。

人間の心が神の心との差がなくなったとき、初めて一つの悟りができたのであります。
この心が悟ったことは一つの真理でありますから、誰が聞いてもなるほど、なるほどと
聞けるのであります。
人が聞いて、それは違うよというような事は、本当の悟りでなくまた道理でもありません。

例えば私自身が悟ったことを、一つ書かせていただくと、
「言葉」これは「人間の心と心をつなぐ道具」これが悟りであります。
神が人間言葉を許したのは、人間の心と心をつなぐ道具として許されたのであります。

親孝行、これは親の心を喜ばせること、これが悟りであります。
このように神の心になった時、一つの道理がわかるのであります。

しかし、悟ったからといっても身についた訳ではありません。
心が開け、心が気が付いただけなのでありますから、信条に第三条に、精神、言語、動作と
ありますように、その悟りを得たことを一つ一つ実践してはじめて身に付くのであります。

悟り千筋と申しますように、沢山悟った人は、それだけ道理がわかり、心が豊かなのであります。
その、悟ったことを沢山身につけることが、成神者だと思います。

文字を覚えるのは頭です、
その文字の本当の意味を悟るのは身体を通して心が悟るのであります。
これが悟りの本当の悟りということであります。

                                            昭和60年12月11日