梅の木通信
心の話【S先生の日記】


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3 心いついて

神は理なり、理は神なりと雛形の教祖様が仰せられました。神や理とは何かと申しますと、
心であり思うと言うことであります。
泥海古記の中に、神は人間の陽気暮らしを見たいと思し召した、そこで泥の海中を見澄ますと
沢山のどじょの中にうを、とみが混ざり居る、これを人間の種にしようと引き寄せた、云云、とあります。
ここに一つの真理が埋め込んであった様に思います。
つまり人間が何をするにもこの思いという心の働きが一番であり それを具体的にどうしたらよいか考えるのが
頭であり、これが二番三番が腹を決めるつまり決心であり四番目が行動であります。

例えば今日は休日だから教会へ行こうと思う。何で行こうか考える、バスが良いか自家用車にするか、
そして帰り買い物するから荷物になるなと考えて自家用車にしようと腹を決めて自動車を運転する。
これが行動に出る順序であります。つまり心、頭、腹、行動の順であります。

人間の体の中に魂という生命力を宿し込み魂つまり神の思いを長くするか、短くするかは人間の心の味の
良し悪しに依る物であり、寿命の長短神の支配なりとの、お言葉通り神の思いを人間の心の味しだいで
長生きになったり短命だったりするのです。
それらも皆その人その人の心の味の良し悪しに依って、自分の心で自分に与えられた神からの生命力を
切っていってしまうのであります。

ですから心の使い方が、いかに大切かがお分かりの事と存じます。
この心の使い方にも大別すると二つに別れ、神に適う心使いと神に適わぬ心使いが多ければ多いほど
寿命を縮めてしまうのです。
これと反対に神に適う心使いの多い人はそれだけ徳分が頂けるのであります。徳分がなくなったら寿命が
なくなるのであります。

その徳分を頂くには神の心を実践することであります。
自分以外の人の心に喜びを与えることは神が喜ぶことであります。ですから神は、
我が俺がの「が」を捨てよ、そこに理が照ると諭されているのであります。
ですから日々は低い心で人にはやさしく自分に厳しく通ることが肝要であります。神が思いならば
人間の心も思いですから理に適う人間の思いは、即天に通じるのであります。

ありがとうございます                      昭和60年12月11日