心の話【S先生の日記】
121 願いづとめ |
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122 鳴り物の理 |
おうかんみちには、儀式の中に欠かすことの出来ない、九つの鳴り物、 拍子木、太鼓、チャンポン、釣り鐘、琴、三味線、胡弓、笛、つづみがあります。 この九と言う理は種の理でもあります。種を蒔く処は人間の心の中に蒔くのです。 ですから鳴物人象はそれぞれの鳴物の理をしっかり心に治めて、そして真に合せる 心を持って陽気につとめることが大切 また九は数字の極数です。数字は0〜9迄で九はその一番大きな数です。 九に一を加えると十つまり十分満足なのです。 その加える一はその人その人の心の味なのです。 親神様は九を台にしてを諭し下されておりますが、神は人間に対し陽気ぐらし のためにこの上なき御守護(おはたらき)下されていると言うことなんであり、 その九に加える一つの心が感謝の心なら十分満足の理となり、不足の心なら 九が八、七、六と言う様に心がどんどん貧しくなってしまいます。 ですから鳴物人象は、それぞれの鳴物の理をしっ 親神様のご守護に感謝し、真に合わせる心を持って陽気につとめることが 最も大切なのであります。 次に一つ一つの鳴物の理を解説します。 ●拍子木のり理(真) 拍子木は堅い木質ほど高い音色がします。その堅い木を用いるのは、 真として他の鳴物につりこまれないしっかりした心を養いなさい と言う理であります。そして真の人は二つ一 他の鳴物の人のを思いやる心が大切です。 九つの鳴物をつとめる人の、 そのまとめが真です。 真の人が自分中心 他の人の準備や心を思いやりしっ 神の理はカチッカチッと成ってくる理。 ●太鼓の理 太鼓は勇みの理であります。叩くとドンドンと音がします。 この理はどんどんと勇む、どんどんと仕込んで頂く、 どんどんと働かせて頂くと言う様に、勇みの理を表しています。 ●チャンポンの理 信条第三条の精神、言語、動作の理が治まれば、成神の理であります。 その理を治めてつとめたならば、神はその理をチャンと受取り、 ポンと結果を返す理によってチャンポンと ●つり鐘の理 人間が神に受取って頂けるものは、真心一つであります。 何事にも真心でつとめるなら天 |
123 心の定規 |
人間は誰でも心の中に、色や定規を持っているのです。 この色メガネや定規は目に見るこ 気がついている人、気がつかずに使っている人と色々です。 そ 聞いたりしていま その結果に於て、あの人は素晴らしい人だ、あの人は頭が悪い、 どこか狂っている等 ではこの色メガネや定規とは何かと申しますと、それぞれ個人個人の 経験や智恵、学問等がその定規となっている様であります。 そし その為に口論になったり、建前だけ ですから陰口を言ってしまうのです。 すべて自己中心の 信仰者にとってこの心の定規程、邪魔になるものはありません。 例え真実のことであっても、自分の色で見ると赤や黄色と言う様に 色がついてしまい 裏を返せばそれだけ心が汚れているのであり、また定規にしても必ずしも 天理に適 この心の定規は神の心でなければならないのです。 神の心 俺が我がと言う自分中心の心 常に相手の人やすべての人の心を思いやる心が神の心です、自分の 捨てて真心を磨き出すのが信仰です。 |
124 家計簿 |
世の中には色々な家庭があります。明るい家庭、暖かい家庭、 また喧嘩ばかりの暗い家庭 しかしどんな家庭であっても、家計簿をつけるつけないは別にして、 知らない人 勿論家計簿はその家の一ケ月の収入支出を記帳する、その帳面のことであります。 我家では女房がつけていないようですが、どうして家計簿が大切なのかと申しますと、 勿論統計を取ると言う意味も大なるものでありますが、最も大切な事は夫婦の 一つにするのになくてはならない大切なことなのであります。 勿論他に方法があれば 収入の部の担当、女の人は日 1ヶ月やりくりをする。これが夫婦の基 特に金銭は大切なつなぎの理でありますから、貴方お金を取る人、私使う人であ 家庭はうまくいきません。 人は真実でなければいけません。 そして夫婦の心が常に 言う訳にはいきません。 人間は誰でもお 嘘やごまかしは必ずどこかでボロが出てしまいます。 金銭の収支をつけて共に一つ心になって、お互いが納得し合って日々生活することが 望まし そのための一つの手段が家計簿なのであります。 |
125 心 |
お道の中で良く、心造り、心構えと言う言葉が使われますが、 正しい言葉として使われて 何故なら、心は神が造られたものでありますから、造るのではなく、 磨 人間の真心とは、真の心と書きます様に、人間の 閉じ込められているのです。その真心を取り囲んで、人間心と言う八つの埃心や 因縁があるのです。 人はその埃心や因縁が、先に芽生える為に悪いことをしてしまう しかし神の子供であるから、どんな人でも真心に触れさえすれば、自分自身 良心の呵責に耐えかねて涙を流すのです。 これこそ真心のある証拠です。 扨、その真心 その真心とは思いやりの心、いたわりの心、潤いの 愛や公平と言う神の心なのです。 ですから、真心を信仰に依って磨き出すのが正しいのです。 真心の周囲についている因縁や埃心を磨き落として真心のみの心にな 磨くことが人間生涯の修業なのであります。それには素直に見たり聞いたり すれば一番良いのですが心が汚れていると素直の意味は理解していても 実際には素直になれません 先ず心を開いて人を喜ぶことを実行していくことです。 人の喜びが自分の喜びとなれる 心は磨くものです。 |
126 貸しもの借りものの理 |
人間の本体というのは、心と魂という生命力であり、 この五体は心と魂の入れものであります。 神は人間に「心一つ我理」として下されたのであります。 従って人間は神に依って生かさせて頂いているのであり、 心以外はすべて神よりのお借りしているのであります。 人間の体もこの世の有りとあらゆるもの、すべて人間は神よりお借りして 結構に使わせて それが証拠に、人間は生まれた時が裸で出直りした時も、どんなに 物や金を持っていても、皆この世に置いていくのであります。 又この世のすべての物 ものでありまして、この世は理詰めの 何一つとして無駄なく神のお働きに依って生かされているのです。 雑草の一本一本にも生命があり、人間の出した炭酸ガスを酸素に変えて いるのであります しかし人間は勝手なもので、自分中心ですから、畑の草や庭の草を目の仇として 取ってしまいます。 草一本取るにも神に感謝して、草取り草刈りをする人が何人居るでしょうか、 神様、草を取らせて頂きます。今迄この草も人間の為に一生懸命働いて下さいました。 今度はこの田に稲を作らせて頂き、その美味しいお米に依って大勢の人々の 食生活を豊かにさせて頂きます。 今度はこの草が肥料となってください。と感謝と人の為に願う心さえ忘れなければ 方位方向の悪いとか悪い日など一日もないのです。 すべて使わせて頂く人の心一つです。 |
127 子宝 |
子供は天からの授かりものであり、俗に子宝ともいいます。 何故に天よりの授かりもので 理の上から見ると、この世は二つ一つが 成り立っているのであります。 二つ一つが天の理と申しま 一つは理、一つは現場の理、この二 子宝と申しますのは神が人間に対する御 おさしずにある様に、人間が子々孫々に至る迄、栄えて行くのが神の御心であります。 その為には子供がなければ子々孫々と言う訳には その家系は絶えてしまいます。ですから子供は子宝と言うのです。 また、授か 夫婦の前生、今 ことは出来ないのであり 例えば子沢山と言うのは、前生今生の夫婦の因縁と心遣いに依るものです。 子供はも これもそ すべて心で蒔いた種(前生今生を問わず) 親は生れ来る子供が健康に生まれて来る様に祈ります。 しかし、その時だけ 常日頃の心遣いが最も 親が子となり子が親となるとの、おさしずの通り、子供は自分の前生の親かも知れません。 大切に育てて頂きましょう。 |
128 勇む心と慢心 |
人間の心と言うものは、とかくままならないものです。 昨日は勇んでいたのに朝目が覚め 天候は自然であり自分の思いのままに 自分の色や物差しに適えば、喜んだり 悲しんだり同じ一人の人間なのに、つくづく周囲 そこで人間にとって大切な事は、常に目標を持って歩むことだと思います。 一つの目標を持つと心が勇みます。始めは小さな目標を、そして達成の喜びを かみしめて段々大きな目標をしっかりと立てることであります。 一つの目標を持つこ 慢心が越ってしまいます。この慢心は怖いものです。 これで良いと思った時は進歩が止まってしまいます。 人間は神 これで良いと思った時が慢心の始まりなのです。人間は皆神の子供でありますから 前え前えと歩まねばならないのです。 今日よりも明日、明日よりも明後日と言う様に、日に日に休むことなく前進しなければ なりません。これが神の心に適う心です。心を使えば使う程豊かな心になります。 |
129 因縁因果 |
おみちの中でよく因縁と言うことが言われますが、 因縁とは一体どんなものなのかと申しますと、人間の目には見えない、 自分自身の心で蒔いた種との繋がりと、その芽生えのことであります。 例えば畑に大根の種を蒔く、これが因であり種が土の中にあるうちは 人間は目に見ることは出来ません。 しかし種は正直です。大地の温みと水と空気の神の御守護に依って段々と 膨らんで来ます。これが縁と言うことであります。 その種を蒔いたことを忘れていても、ちゃんと時期が来れば大根の芽を 出します。これが果の芽生えでだんだんと成長して食べられる様になるのです。 従って因とは種であり原因です。縁とはその繋がりであり、果とは大根であり 結果と言うことであります。これが因縁因果ということであります。 例えば生まれながらにしても不具者の場合にしても、その両親にしても 大変なことで しかしそのような子供を生涯背負って通らねばならぬ両親の心で蒔いた種と、 又子供の 親神は因縁寄せての守護と教えて下 子供の因縁と親の因縁と心遣いに依って芽生えるのです。 大切なことはこの両親の現在の心遣いです。 不足で通るなら生涯泣き乍ら通らねばなりません。 しか 変わるか分かりません。因縁因果がすべて心一つです。 |
130 身上事情はみちの華 |
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