梅の木通信
心の話【S先生の日記】


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10 えー?しかし?そうですか?でもねの言葉について

神の思い、つまり道理を取次させて頂いて、相手の方から上記のような言葉が出たら、それは相手の心が
高いのですから、自分の方が言葉をやめて聞かしていただきましょう。

聞かせて頂きますと言う心は、水心より出るものです。心を高くして聞かして頂きましょう、という言葉は
心がこもっていないはずです。こういう時は自分の心に波風が立っている時です。
波風とは感情的になっているということであります。
この心では理の取次はできません。
人間心の高い心から水心の低い心に流れるのが道理です。
ですから、相手の人の言葉を低い心、又、思いやりの暖かい心で聞かせていただきまうという心が
相手の心に通じ、自然と話しやすく感じ、悩み事、疑問に思うことを話せるのです。

理は学んだだけでは身に付くものではありません。
理と現場、二つ一つが天の理、この二つが身についてこそ、一つ一つ成神への道であります。
人間は自分に厳しく、人に寛大であれば良いことは、良く分かっておるつもりです。
しかし、本当の姿は、自分に寛大に人に厳しい、これが現実の姿だとおもいます。
信仰をもったら、この矛盾をなくすことです。

言うは易し行うは難しの、諺どおりであります。

理の取次をさせていただいて、上記の言葉が自分や相手から知らず知らずに出てきたら
「分かったほうから治めよ」のお言葉どおり、自分のほうが言葉を治めて低い心になって
聞かせて頂きましょう。そうする心によって、相手の心が軽く楽になることを忘れずに、

話上手より聞き上手ということを忘れずに。

                                               昭和60年12月17日


  
   信談 
    話し上手より聞き上手、反省させられる言葉でした、
   S先生は神様の御取次をされるかたへこのメッセージを書かれていますが
   これは、日常の会話の中でも大切なことだと深く感じさせていただきました。
   先日友人の悩みを聞きに遊びに行こうと、出かけたことがありましたが、
   妻から今日は聞き役だよ、と念を押されたにもかかわらず、気が付くと自分の意見を 
   ばんばん方って、自分が気持ちよーく友人宅を後にしてしまうことがありました。
   まだまだ水心に近づくのは遠いです(反省、、、。