松田光一郎の多事争論

のんびり今を大切イ生きる  2006年3月6日

なんと1年ぶりの、多事争論になってしまいましたが、
みなさま、お変わりはありあませんでしょうか?
さて、私、ちくし光一郎はと申しますと、1年をふりかえって本当にいろいろな経験をさせて
いただきました。
そして今日は人の命というものの重さについて、あらためて考えて見たいと、思いました。

世界中で、毎日沢山の命が誕生し、そして沢山の命が失われたおります。
小さな命を救うために、沢山の方々が、努力しているとおもうと、いとも簡単に人の命を
奪ってしまう戦争やテロ、それに犯罪などもあります、。
そして、健康な体をいただいていながら、いともたやすく、自ら命を立ってしまう方もいます。

私は以前、ある方から、命の重さについて教えをいただきました。
「今こうして生きている、というよりもお肉や野菜など、沢山の命をいただいて、こうして
生かされているということが、どれだけ、尊いことであるか、その尊さをかみしめて、
こうして生かして頂いている事を、心から感謝しなさい。」そう教わりました。

ひとは勝手に生きているのではなく、生かされている、そして今日は健康でも明日は
どうなっているか解からない、そんなことも、この1年で沢山学ばせていただきました。
そして、その学んだことあら、きずかせていただいたことは、
「今を本当に大切に、心から生かされていることに、感謝して生きるということの、大切さ」
このように痛切いたしました。
そんなことを言いながら、いまだに私は今を大切に生きているか?というと、
あまり大切には生きていないようです。

大切に生きなくては、、、、、だからって生き急ぎはよくないので、

のんびり今を大切に生きる そんな事をテーマに生きていこうと考えております。

なにやら訳のわからない多事争論でしつれいしましたー(汗

ホリ衛門 2005年3月24日

実に久しぶりの多事争論ですが、最近日々ニュースやワイドショーで
ホリエモンさんと某テレビ局の戦いを目にします。
その中でホリエモンさんを見ていていつも感じる事は、この人はそうまでして権力がほしいのかな?
なんて思ってしまいます。
凡人の私には計り知れないお考えがあるのでしょうが、私の目からは巨メディアの権力を手にする為に
外資という力を借りて、人のふんどしで相撲をとっている、あわれな方に見えてなりません。
どんなに背伸びしても、強い権力をてにいれても、しょせん人間なんてものは
「座って半畳、寝て一畳、天下とっても2合半、、、、、、。」
なんとなく、あの方は大切な何かが見えてないような気がしてなりません。
これってやっぱいり、私が凡人だから感じることなのでしょうかね^^
「自分の馬も持ってんだから、もういいべや、このまま突き進むと、確かに沢山の力と財は手に入れるかも
しれないけど、その代償に人にとって本当に、本当に大切なモノを失うかもしれないよ。」
なんとなく、といなりでそっと肩をたたいてお話したい気持ちになってしまいます。

それから、今回の騒動、日本政府はどう裁くかによって、やがて第二、第三のホリエモンさんが現れ
日本の大手健全企業がすべてアメリカ財界の手中に、、、なんて予感を感じるのは私だけでしょうか。。。(さぶ”

容疑者と犯人の違い

こんにちは、今日のテーマも実に重く、犯罪における容疑者と犯人について考えて見ました。

容疑者イコール犯人のように現在報道関係では面白おかしく報じていますが(特にワイドショーなどは
ひどい限り)はたしていかがなものでしょう?

容疑者とは、疑わしいというだけでまだ犯人と決まったわけではありません、にもかかわらず行き過ぎた
報道によってどれだけたくさんの方々が傷ついてこられたか。

特にひどい例は、松本サリン事件の河野さんでしょう、勝手に警察やマスコミに犯人扱いされ報じられ、
河野さん始めご家族のことを思うとたまらない気持ちになり、軽薄な報道に対して怒りを覚えます。


あの事件でマスコミは報道のあり方を考えさせられたなどと反省したかに見えますが、ところがどうでしょう
私から見れば全く反省などしてない有様、

その例が、以前、病院の中で看護士のかたが筋弛緩剤を点滴にまぜて沢山の方々の命を奪ったという
事件がマスコミなどででかでかと報じられましたが、私敵には疑問があります。

容疑者の男性はいまだに反抗を否認されているのです、彼がやったかどうかわからないのに、
早々とちゃらちゃら音楽を流しあたかも殺人鬼のように報じるワイドショー。

松本の時のあの神妙な反省顔はどこに行ってしまったのでしょうか?
あくまでも憶測ですが、私的には彼は犯人では無いのでは、と考えています。
病院側が損害賠償を避ける為、一人の看護士に罪を押し付けたのでは?
あくまでも憶測ですので、結果は裁判で確定すると思いますが、皆さん判決が出るまではどんなに
ワイドショーなどで騒いでも冷静に見つめる目を持ってください。

私が若い頃、知人の傷害致死事件で事件の真相を調べたり、裁判を傍聴したりする機会がありましたが
その際、事もあろうに警察が犯人をでっち上げようとでたらめな証拠を捏造するなど非常に醜い世界を
直接拝見したことがあります。

あげくに法廷に立って嘘八百を証言した刑事さんもこの目で見せていただきました。
人を取り締まる警察が犯人をでっち上げ、無実のものを刑務所に送り込む、本当にこれでいいのでしょうか?
彼らに良心はあるのでしょうか?
警察の話、マスコミのあおりなどに対して、冷静にそして静かに対処して別の位置で見つめられたら、
もっといろいろ見えるようですが、私的にも非常に難しいことです。

死の淵に立たされたとき
今日のテーマは非常に重く、人の死について考えてみました。
先日私の会社のスタッフで退社後も懇意にしていた子の、奥さんが急に息を引き取りました。
まだ30過ぎて間もない死で、その子供たちも小さく何とも息が詰まるおもいです。
若くしての突然の死、私の知り合いで,かつてバイクで志望した友人などがいましたが、
それ以上に今回の知らせは辛い知らせでした。

その方とは別に先日、年老いて病の床に就きその病室で、ある御老人が奥様に本当に優しい
いたわりを見せている光景を聞かされました。

互いが互いをいたわりあい実に素晴らしい光景だったそうです。
誰でも老い病にかかりいつかは死を迎えます、しかしそんな時、その御夫妻のように、人の事を
いたわる事ができるのでしょうか・

私自身、その様な苦しい場面に直面してはたして周りの人をいたわる事が出来るか?
自分で自分に疑問を投げかけました。
正直、今の私では無理でしょう、直らぬとわかった所で人をいたわれる余裕と許容は
自分にはないと思いました。

人は、いつか死の場面に直面します、そんな時自分の事よりも、まず第一に人をいたわれる
そんな人間になれるよう今から成長したいものです。

以上今日の多事争論でした。。。ずーん重い
最近のテレビアニメに、2004年2月2日

昨日久しぶりに我が子と日曜の朝、テレビの漫画を見ていましたが、何だか子供の漫画がすっかり
ゲーム会社やおもちゃ会社の商品販売用の道具にされてしまっているようにも見えた。

以前、義理の姉から秘密のアッコちゃんのコンパクトが壊れて使えなくなり、新しいデザインのコンパクトを
鏡の精からもらう場面があり、その直後におもちゃ屋さんで新しいコンパクトを一斉に売り出すということが
あった。

当然のごとく私の姪たちにとって、先に持っていたコンパクトは古いものになってしまい、新しいのがほしいと
泣き叫ぶ有様。

私は、どうして壊れて使えなくなったコンパクトをアッコちゃんが直して使うとか、一つのものを大切に使うとか、
子供たちにいい影響をあたえず、新しいものに買い返るという今、世の中の動きに反するようなことをするのか、
金儲けの為なら何でもするのか?

さらに、魔法使いサリーちゃんまで、魔法のスティックを持っている姿に、泣きたくなる思いでした。
漫画職人として、そして、漫画をそして子供達を心から思っていた、今は亡き手塚治虫先生に代わってひとこと、
おもちゃ業界、ゲーム業界他、アニメを製作してるテレビ関係の方がた、お願いだから、漫画を商売のおもちゃに
しないで下さい。

本当に子供たちのことを考えて作ってください。子供たちは純粋に見たものを吸収しているんです、いたづらに
その大切な心をワシ掴みにするような戦略は考えず、純粋に子供達を愛して作品を作ってください。

スポンサーの方々も、第一にそれを考えて、製作者にゆだねてください。
生意気なようですが、またまた私の魂の叫びでした。
ストーカー2004年1月17日

今日は最近よく報道でつかわれる言葉について考えて見ました。

はじめに、ストーカー今では数多い犯罪にも発展しているこの言葉だが、このストーカーという言葉を
かっこいいと考える者も現れてしまう、そんな言葉ではないかと私は思う。

そこで私はこの言葉を今後報道やテレビ雑誌等で、使わないことを提案したい。
私の考えではストーカーはこれからは【追っかけ変質者】、
そしてもう一つ納得いかない言葉にリストラというのがある。
リストラなんていうと何となくいい言葉のように感じてしまうからこれからは、首切りそう呼んだ方が
良いのではと考えている。

この他にも一見かっこいいような言葉でごまかされている言葉が多い。
言葉の雰囲気に惑わされる事無く、その中身をじっくり考えて使いたい最近ふと思う。

みそっかす 2003年11月4日

今日は古きよき言葉、みそっかすについて考えてみました、
最近の子供たちにはこの言葉はなじみの薄い言葉だと思いますがわたしが子供の頃は必ず遊びの場にこのみそっかすが
いた物です
みそっかすとは一緒に遊びには参加しているけれど鬼になる事は無い小さな子供に与えられた称号でした。
高学年の子供が小さな子供も共に遊びに参加させ邪魔者扱いせずに自然に面倒を見ていた、私の子供の頃はそれが当たり前の
ように行われていたような気がします。
現に私もみそっかすを経験しその後遊びの中の中心に位置したとき別のみそっかすの面倒を見たものでした。
現在では縦割り教育の重要性にやっと気がつき実践している幼稚園や学校など増えてきていますが、過去の日本では子供たちが
遊びの中で当たり前のようにみそっかすというシステムを使い、小さな子への思いやり目上への尊敬など皆で大切な事を学んでいたようです。
最後に一言、子供たちよ塾なんて行かないでいいからもっと外で皆で遊び周り、大切な事は何か遊びの中で学んで言ってください。
これは子供を育てる大人たちにも心から言いたい私の魂の叫びです。
うおおおおおおおおおおおお!!

日本経済 2003年11月1日
今日は日本の景気がなぜ回復できないかについて考えてみました私は一番の原因は銀行の責任と
考えております。
貸し渋り、中小企業の自営業者に対して最近の銀行はどこもつめたい。
自営業というだけで住宅ローンの審査すらなかなか通らないのが現状です。
現に私の知り合いで健全経営をしているにもかかわらず住宅ローンで難癖をつけられなかなか
借りれなかった事がありました。
せっかく不動産価格がさがってマイホームが手に入るというときに自営業だからだめですというのは
どうでしょうか?
不思議な事にその会社の社員はローンを通って住宅を購入しているものもいるんですが、
銀行さんあなた方がお金の流れを止めるからマンションや住宅が売れ残ったりして建築業界なども
立ち上がれないのですよ、金は天下の廻り物、しっかりたのむよお
  


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